FC2ブログ

2018年08月 | ARCHIVE-SELECT | 2018年10月

| PAGE-SELECT |

≫ EDIT

本当のマントラ

ものを言う必要は何もない

ドドドン ドドドンの

はやしだけで十分


このはやし以外の文明が

出来上ってしまった

そして 文字と言葉の文明を

つくってしまった

人類はそれから地におち

悩みを持つ生き物となってしまった


ものを言ってはダメ

文字を書いてもダメ

それは間違った文明である

初めに文字も言葉も無かった

「振動」だけがあった

リズムだ

音楽だ


音楽という学問はすばらしい

それは原始の謎を解く秘訣である

原始には振動する音だけがあった


文明人は言葉 文字をつくった

そして宇宙と人間の 調和した「振動」の世界を

地におとしてしまった

悩みもそこからおきた


人類は今だに その暗闇

即ち間違った文明からぬけられなくて

文字をつかい 言葉を使っていて

その間違った文明から

ぬける術(すべ)を発見できず

悩むばかりである


宇宙と人間の元来ある「振動」

即ち調和のとれた「振動」をとりもどせずに

悩みつづけているのだ


元々の「振動」人間

「波動」的人間にかえれ

そうでなければその間違った

言語文明からぬけられない


ドドドン

ドドドン

ドドドンのドン


ドドン ドドン

ドドン ドンドン


このはやしの音 波動を

唱えよ


人は救われる ただちに

救われてくる 人よ!!


2009.10.11.
スポンサーサイト

| 2009年 | 08:45 | TOP↑

≫ EDIT

日没の踊り

人は生きている自分を直視することなしに

ただ生きていることのみに 

汲々としている


生きていることを直視する時 

喜びがそこに湧いてくる


だが人は 喜びのない生をおくり続けている

生きている今を見ないで 

欲が前へ前へ 前進している

それは本当の生ではない


今をよく見て生きること

今をよく見て 喜びつつ生きること

そこに踊りが出てくる


踊りなくして生きている人間は

本当の生き方ではない

常に今の生を見て喜び

それを土台として まともな人間とならねば

生きているとは言えない


欲の前進しかないような生は

無駄である

無駄な一日一日でなく

生を喜ぶ知恵をもってこそ

まともな人間と言える


人が喜んだ時は 踊りがでてくる

踊っていない人間は 

生の欲のみで生きている人間であり

それはまともではない


人は毎日の生を喜ばず

次の日次の日と 欲の手を伸ばしている

次を 明日を生きることを考えずに

今日一日 生きたことを喜ぶ


感謝の気持ちを踊りに変える

それはお祭りという感謝の喜び


今日一日を生きた喜びをもって

人生を幸せ感で 満たさなければならない

これが自然である


自然の中での喜びの祭り 踊りなくして

本当の人間とは言えない

ひょっとこ踊りも 感謝の気持ちの現われである

踊りは喜びの姿である

感謝からくるお祭り 踊りなくして

生きる生は間違っている


踊りが常に必要である

その踊り 即ち感謝がないと

人生はまともではない

まともになると いつも踊りがでてくる


いつも踊っている人たちがいる

その人たちこそまともである

踊りながら 飯炊きをし 食べ子守りして

踊りながら 日没を迎える

そんなまともな人が まだいたるところにある


踊りをすることを忘れてはならない

これが本当の日没の姿である

日没の時は

感謝して踊るという神の声であると心得よ


日没は踊れという言葉である

日没は踊りに添えられた音楽である

日没の美は一日の感謝のお祭りを照らす

その踊りに添えられた音楽と

沈みゆく太陽とともに踊れ


2009.09.16.

| 2009年 | 16:48 | TOP↑

≫ EDIT

気息のみがある

平和を求めている者には平和はこない

求めがあるところ 即ち受けのあるところに

それは来ない

受けのない所

そこにブラフマンそのものが立ち上る


受けがないとは何か

それは現象世界の形相をとること 

つまり存在事物の形をもとり除くのである


ブラフマンは宇宙を呼吸する一者なるものである

その一者が自らを呼吸するのである

それがブラフマンの公式 すなわち

1-1=0 0=1-1


1という数が消され 0だけが残る

一者さえもそこでは消される

一者自らが 一者に吸い込まれるのだ

そして再び 一者が吹き出される 

ここには気息があるだけである 


そこには距離のない世界 

即ち時間も むろん相もない世界がある

形も消されるのである


ブラフマンなる一者があった 

そこから夜の静けさも 波打つ大洋も

出来た


しかし一者は

それを創ろうと意志したのではない

彼は呼吸するのみであった


そこで創造するという意志は消された

美感とか知情意は そこにはなかった


ただあるものだけがあった 

それは気息である


2004.02.13.

| 2004年 | 09:48 | TOP↑

≫ EDIT

素朴とオチャメ

今まで求め 得ようとしていた

オチャメは

何だか温かいものを土台にして

求め考え出されていたものである

ということに気がついた


温かいものを土台にしていると 

このよごれた世界での求めに

一歩足を踏み入れる事になる 

すると俗世のにおいから抜けられない 


では素朴を元とするオチャメとは 

どんなものか

それは子供のもつ素朴さ そこから出て来る

そこには温かさを求めているものは何もない


温かさを求めるのは大人である

子供は純粋なものを求め その中で生き 

その中で 親の懐の中にいる 

特別に温かいものを求めるという知力など

毛頭持っていない


子供は純心というが それは純粋なものを求め

純粋なものの中に憩い 遊んでいる 

その遊びも 遊んでいるというより 

憩っているのである


子供は純粋さの中で 憩える魂なのだ

それに比べ 大人は安心と温かさを求めなければ

憩うことすら出来ない存在と

なっているのである


素朴とオチャメ これは一つのものだったのだ

温か味のあるオチャメから抜け出そう 

そして子供の魂をお手本として

本当のオチャメをつかめ


天上から魂に そよ風が

吹いて来た


2002.03.05.

| 2002年 | 21:40 | TOP↑

| PAGE-SELECT |