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2018年08月 | ARCHIVE-SELECT | 2018年10月

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気息のみがある

平和を求めている者には平和はこない

求めがあるところ 即ち受けのあるところに

それは来ない

受けのない所

そこにブラフマンそのものが立ち上る


受けがないとは何か

それは現象世界の形相をとること 

つまり存在事物の形をもとり除くのである


ブラフマンは宇宙を呼吸する一者なるものである

その一者が自らを呼吸するのである

それがブラフマンの公式 すなわち

1-1=0 0=1-1


1という数が消され 0だけが残る

一者さえもそこでは消される

一者自らが 一者に吸い込まれるのだ

そして再び 一者が吹き出される 

ここには気息があるだけである 


そこには距離のない世界 

即ち時間も むろん相もない世界がある

形も消されるのである


ブラフマンなる一者があった 

そこから夜の静けさも 波打つ大洋も

出来た


しかし一者は

それを創ろうと意志したのではない

彼は呼吸するのみであった


そこで創造するという意志は消された

美感とか知情意は そこにはなかった


ただあるものだけがあった 

それは気息である


2004.02.13.
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| 2004年 | 09:48 | TOP↑

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素朴とオチャメ

今まで求め 得ようとしていた

オチャメは

何だか温かいものを土台にして

求め考え出されていたものである

ということに気がついた


温かいものを土台にしていると 

このよごれた世界での求めに

一歩足を踏み入れる事になる 

すると俗世のにおいから抜けられない 


では素朴を元とするオチャメとは 

どんなものか

それは子供のもつ素朴さ そこから出て来る

そこには温かさを求めているものは何もない


温かさを求めるのは大人である

子供は純粋なものを求め その中で生き 

その中で 親の懐の中にいる 

特別に温かいものを求めるという知力など

毛頭持っていない


子供は純心というが それは純粋なものを求め

純粋なものの中に憩い 遊んでいる 

その遊びも 遊んでいるというより 

憩っているのである


子供は純粋さの中で 憩える魂なのだ

それに比べ 大人は安心と温かさを求めなければ

憩うことすら出来ない存在と

なっているのである


素朴とオチャメ これは一つのものだったのだ

温か味のあるオチャメから抜け出そう 

そして子供の魂をお手本として

本当のオチャメをつかめ


天上から魂に そよ風が

吹いて来た


2002.03.05.

| 2002年 | 21:40 | TOP↑

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