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ゆれ動く透明なほほえみ

ラーマクリシュナは偉大だ

彼には根源なるブラフマンは

なかった

ゆれ動くオチャメのゆれだけがあった


そのゆれ動くものとは何か

それは1-1=0 0=1-1という数式

それに意識を集め

その数式になり切るのである

それは人間という形相から 逃れる事でもある


そして自らが自らを呼吸するとは

自らさえも消えるのであって

自らは何者でもなくなってしまうのだ


知情意でもなく 考えの湧く何者でもない

いわば暖かい世界を求める中にいない

では冷たい世界ということになるが

それは暖かいの反対の冷たいではない


有無の世界でなく中性の世界

即ち点の世界でもある

知情意によって求めつづけてきた自己が消えて

自らは人間でないものとなって

軽くなり おどり出して来るのである


結果的に来るべき何かを

待ちわびるのでもない

受け取るべきものもないのである

実りとか実現というものも

ないのである


そこで身が軽くなる

即ち羽毛だ

軽くなるのである 


それが暖かさを求めない透明な

中性的オチャメである

いわゆる冷たいオチャメともいえる


冷たいとは暖かさの中にいた人間模様を

おさらばした状態をいうのである

暖かいものを求め

暖かいものの中に住まう自己がなくなり

自らが消えた瞬間である 


踊りが始まる

冷たい自らがもつ躍動の舞の姿 

それが現われて来た

やっと 何ものかを求めていた自己から

解放されたのである


押さえられていた覆いがなくなり

自らそのもののおどり 躍動がやって来た


ゆれ動く1-1=0 0=1-1が

0そのものに帰ったのである

あるものそれ以上のものも それ以外のものも 

そこにはなかった


自らの冷たい熱情だけがあった 

他に何も関係のない自らである

慄然と立ち そこに揺れている者があった

慄然と一人ほほえむ

言語は消えて ゆれ動く自らだけがあった


一者はほほえむ

それは静かで

ラーマクリシュナのように

世界をつつんでいる


それは最高のものになった

透明なほほえみであり 

透明な静かさである


1-1=0 0=1-1

このブラフマンの数式の偉大さが

これをもたらした


2004.02.25.
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| 2004年 | 13:35 | TOP↑

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自らを呼吸する大鳥

汝大鳥 

ブラフマンなる大鳥

彼の大鳥は 自分自らを呼吸する

ものなり


その大鳥の自分自らとは何か

自分そのものを言っているのか


否 その大鳥にとっては 自らなる自分とは

1なる自分ではなく

すべてを自らとする


宇宙に存在するすべてのものは

何であろうと

彼にとっては自らである


0であろうと 点であろうと

距離であろうと

彼には何ら区別はない


自らなる大鳥は

自らすべてを呼吸し

我が懐に入れて飛ぶ


それこそ大鳥そのものの

飛ぶ姿である


大鳥ブラフマンは飛ぶ

素朴とオチャメを両翼として

その翼の上下運動は

飛ぶ


素朴とオチャメの舞は飛ぶ

これ以上のものはあろうか


2004.02.16.

| 2004年 | 13:33 | TOP↑

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ブラフマンの数式

酸素は酸素を呼吸して生きているという

啓示を以前受けた事がある

これは生きていることに重きを

おいているのではない


自らが自らを呼吸するという事は

その自らも呼吸によって

吸い込まれてしまうのである

即ち行為者さえ消えてしまうのだ


自らである行為者には関係がない

1-1=0となるように

自らである主体が消え

ただ呼吸という行為があるだけである 


気息という行為により

一者さえ消される 

1という数が消され 0だけ残る

そしてその0が

また息を吐き出すのである

すなわち 宇宙を再創造するのだ



そこには時間も空間のない世界

即ち形も相もない世界がある

形も消されるのである



ただあるものだけがあった 

それは呼吸である

1-1=0 0=1-1 

これがブラフマンの数式である


美感とか知情意は そこにはなかった

花を見ても美しいと思わなかった


彼はブラフマンの中にいた

それと廻転の秘密も分って来た

その中心軸はブラフマンであった

宇宙はブラフマンを中心軸として

廻るのである

それが即ち 呼吸である


2004.02.13.

| 2004年 | 13:32 | TOP↑

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受けのない世界

受けのない世界 

この発見で すべてが終った

思考がとまった


受けのない世界こそ詩であり

神話である

この受けのない世界が オチャメと幻想力の

翼の上下運動を運ぶ

その上下運動こそが オチャメであり

幻想力である

かつ又 二つを合わせたものである


距離も点も すべて受けのない

世界であった

太古の人々はこの受けのない人々であった

故に詩人だったと言われるのである


受けのない世界がこの現世であり かつ

現世以前の世界であった


人はまちがって受けをもち

すべてをあやまちの中に

引き込んでしまった


私は受けのない そよ風そのもの

そよ風が私だ

人のほほをそっとなでて通る


受けのないもの そよ風が私だ

そこには思考がなかった


2004.02.06.

| 2004年 | 13:31 | TOP↑

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真実なる斜めの言葉と行為

生きた言語とは 斜めの言語である

それで歌ったら 何故か涙があふれて来た

内面からの歓喜であった
 

知情意で涙を出したのではない

内面が喜んで 涙の滝となったものだった

DNAも本当の構造である斜めにする事が

本物のDNAたらしめる事であると分る


数式は斜めである
 
1-1=0 0=1-1は斜めである 

即ち中性子である

言語も行為も斜めにすること

斜めはオチャメであり 詩 神話である


宇宙はそれによって動き

ブラフマンも斜めそのものであり

この宇宙もそれ以外にはない


本当の言葉はどこからでてくるのか

それは頭からでなく 斜めという

幾何学の中から出されて来る


その言葉は 正しくおだやかなもの

そのものである

ピュアーとは おだやかというもの

それは オチャメと斜めと同じものであり

詩と神話と同じものだ


詩とは今日まで知情意 

即ち感性から出され 感じられて来るものであると

思われているが 

それらは詩歌であって 詩ではない


詩とはおだやか それを言うのである

「木が一本立っている」のもおだやかである 

それは詩であり神話である

それは数式であり 幾何学であり 

幾何学の斜めそのものである


細胞にそれを教えこめ

今日までのような人間であっては

ならない

人間は頭から口を通して

言葉が出てくる

だから今まで本当の言葉を

出した者は一人もいない


涙にくれながら しかもおだやかである

不可思議なるその感覚

歌の調子もそうなった 

真実な行為も

そこから生きたものとして

出てくるのだ


2004.03.23.

| 2004年 | 11:06 | TOP↑

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神酒なる数式に酔う

人は形相という牢獄へ入っている

その形相とは 人間という形と

そこから出てくる相対意識という相を

もっている

その相は心というものでもある


人間としての形相と心

その二つの牢獄の中に 今まで長い間

いたのだ

それが数式で 自己なるブラフマンを

示すことが出来てから

人間という形を破ち 

そこから抜け出す事が出来た


そして今夕 その数式という神酒で

酔い始めたのである


その酒とは数式そのものである

1-1=0 0=1-1

その数式なる自己の本性 自己そのもの 

ブラフマンそのもの

その神酒を飲んで酔い心地になっているので

ある


これ以上のものはどこにあろうか

これ以上のものはどこにも

見つけられる事は出来ない


これによって

酒をのむ桃の節句やなあと小鳥が

いった通りになった

酔っている者 オチャメとはそれだったのだ


これから毎日

このお酒を飲ませてもらおう

酔い心地になって 時には一人で

舞う事も起きるだろう


生きてある者がいた 

一人生きてある者がいた

それはブラフマンである


彼は一人で息をしていた

彼は一人で舞を舞っていた


彼は生きた者 神酒に酔う者

舞いながら

金を振りまく者であった


2004.03.05.

| 2004年 | 10:58 | TOP↑

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合理の奥に息づくもの

詩と神話がさらにわかってきた


詩は主体性のないもの 

自己を持たないもの

そこにあるもの


木も 夕焼け空も うさぎも

動くものも 動かないものも

自己を持たず

そこにあるものは

全て詩である


山が詩である

大河が詩である

宇宙そのものが

一つの詩である


宇宙の基なる破壊 保持 創造の三角構造

その構図に入っていく時

自己は消える

そこで人は詩になる


神話はあるもの

さらに奥にあるもの  


合理の世界の奥に

さらなる非合理の世界があるように

詩の世界の奥に神話が息づく

 
「火は その古里なる水に帰っていった」

「松は葉っぱと葉っぱを ふれ合わせて子供を生む」

「僕はワニの眼の中から生まれた」


文学さえ追い付けない程のものすごい世界

合理を突っ切ってぶつかる究極の果て

非合理の遊戯


人類はいつ この果てをつかむので

あろうか


1995.11.23.

| 1995年 | 00:12 | TOP↑

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寄せ付けない

寄せ付けないということに

徹底したら 何事にもひっかからず

冗談が言えるようになる


この宇宙のいかなるものにも

関係がなくなる

関係をもっていると

現れでしかないこの自己が 消えることがない


寄せ付けない

宇宙の何ものも寄せ付けない者は

全てと供に住み しかも 

全体の中に在る何者とも関係を

もたない 


寄せ付けない

これが大先決だ

そしてそこに

すべてをつくり出す者として

つっ立つのだ


白紙の憲章を持つ者として

宇宙からも

独立するのである


寄せ付けない者は ほほえみをもつもの

贈り物そのもの

それは 時間の噴出口


雲が黙々動き 形を変えて行くように

色と形が舞台の上で踊る

劇をしきる


現実とは 組み合わせの演戯

その演戯に徹すればよい


組合せとは 与えられた運命 

運命を変えようとするのでなく

演じきれば良いのだ


役は与えられるもの

勝ち取るものではない

人よ 

ただその与えられた役を

演じきれ


1995.11.26.

| 1995年 | 00:11 | TOP↑

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線に酔う

景色とは 見るものではない

景色とは 眺めるものではない

景色とは ともに酔いしれるものである


ピュアーとはどんなものか

ピュアーとは 酔いしれることである

酔がまわった状態をピュアーという


線に酔うのだ

線に酔うのだ

線は人を酔わしめるものだ


会話がはじまる

オチャメの会話が

全世界の秩序が ここで輝いてくる


2002.01.03.

| 2002年 | 13:10 | TOP↑

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瞬間と生命の間には

無知の深淵に目を向けよ

そこに幾何学の世界が……一本の線が見えてくる 

その線はオチャメで舞い踊っている 


ハイデッカーは その線を「開き」ととらえている

開きの角度は 未来を約束する

瞬間瞬間における新しい人間生命と

天界及び地上の刻一刻をつくり出すのである


アインシュタインは

時間と空間は一対であるといったが 

私は更に 時間は生命と一対であるという

しかもその生命は 刻一刻の連続するものなのである

刻一刻こそ輝ける芸術の花が 作品が 生命がつくられる


エジプトも時間と生命の秘密を知っていた

それらをつなぎ止める幾何学 

即ち線でできている宇宙構造を知っていたのである


エジプトの太古の人は 

瞬間瞬間と生命の関係の中に 

命と宇宙の連鎖の中に一本の線を登場させ

生命そのものを動かす深淵なる構造を

発見した

そこにエジプト人は幾何学を知っていた最初の

人であるといわれる由縁がある


彼等はその線の哲学 線の幾何学をもって

それを生の根本と知っていた

現代人は命の線という命の泉を忘れきっている

エジプト人その線を生命の土台とした文明人だった


生命は瞬刻瞬刻つくられて 軽やかに舞い踊るかのように

天から舞い降りる白紙のように

零と線と立体を画きながら

それは舞う


過去と現在と未来のなかで舞う

根源だけが偉大なのではない

根源だけが創造の源ではない

ビッグバンが一度だけあったのではない

完全な無も 完全な有もない


インドのリグヴェーダには

光がななめに走った そこから宇宙が創造されたとある

インドでも 宇宙は非平衡系という系

つまり線ででき上っていると言っているのである


線と秩序が宇宙を支えているのである

エジプトの絵画の謎もここにある

それがエジプトの横向きの人物画の画法である

それは彼等は立体を見なかったということである

立体を見ても 

そこにある見えない線を

描くことができたのである


即ち彼等は平面の中に立法を

立法の中に平面をみることができた

私はそれを昔から平面立法の世界があるといってきたが

その平面立法の世界をエジプト人は見つけていたのである


そして更に線の秘密に彼等は迫っていった

線は無と有の中間帯であるということを

その幾何学を知っていた


そして完全なる無も完全なる有もないことを知っていた

そしてそれが神話の入口であり

出口なのである


2001.10.14.

| 2001年 | 13:17 | TOP↑

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