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2019年01月 | ARCHIVE-SELECT | 2019年03月

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あいさつからオチャメが現れる

オチャメという言葉は
天啓として授かったものである
もしこのオチャメという言葉が降ってこなかったら
私は永遠に思考の世界から抜けられなかったことであろう

オチャメが神話実現の大いなる鍵であることは確かだ
だから どうしたら自分の中から
オチャメが出てくるか
どのようにしてオチャメになろうとかと
一生懸命考えた
そしてまた思考の世界に入っていってしまった

自分も小さい時は
オチャメだったとよく覚えているし
自分ばかりでなく回りの子供もオチャメそのもの
であった
だから子供時代を思い出し
オチャメになろうと試みたのである

しかしそれは間違いであった
それは作為的であるから
オチャメになろうとしても なれるものではない
オチャメは自然に内から湧いて来るものなのである

そのようにオチャメになろうとして
なりきれない自分があった
そこに満足していない自分があった
自分の内にそういう人にいえない苦しみをもっていた

そんな中 或る日マーケットにいった
あるアメリカ人の男性と眼と眼があった時
その人が私の顔をみて心の底から
ハーイとあいさつをしてくれた
そこで私も 心の底からハーイと言えたのである

私の内から本当のあいさつが出て来たのである
その時に私の身体に一つの変化が起こった
そのあいさつをした時 私の顔が
なろうと思わずにオチャメになってきたのが
分かったのである

オチャメのバイブレーションが身体の中から
響き始めたのを実感したのである
それでオチャメになるためにはあいさつが
必要だと分かった
しかしこの時のあいさつは
普通のあいさつではなかったのである

あいさつということは 誰でも知っている
普通のあいさつ
それは人と人が相対的にあってするものである
人との関係を円滑にするという目的をもって
なされるものである
それと違ったあいさつがある

あいさつする人と人のその間に
あいさつという生きたものがあるのだ
人と人の間にある真実のあいさつ
このあいさつをすると自分が消え
あいさつを交わした相手も消えてしまうのである

さらにこのあいさつは 相手が人の場合だけでなく
全てのものとの間に あいさつがあることがわかった
そしてそのあいさつにふれた瞬間
意味のある世界が みんな消えてしまうことを発見した

自分があるかぎり 人は意味のある世界を立ち上げて
しまう
つまりそこで宇宙を 自己に都合のよいように
意味づけてしまうのだ
しかし本来 宇宙は意味のある世界は何もない無意味の
世界である

そこではあらゆるものは 全てあいさつによって存在している
あらゆるものはあいさつによって衝突して消え
又現われる
世界はあいさつによって成り立ち
あいさつによって動いている

そのあいさつが動き出す
そこにオチャメが現われて来るのであった

宇宙からエネルギーが自分たちの中に入ってきている 
入ったものは また出ていく
自分が見ている対象にも 同じく宇宙からエネルギーが
来ている 
それもまたそこに入ったものは出ていっている
この循環作用 折り返し構造の中に
オチャメは潜んでいたのであった

アメリカに詩人のホイットマンがいた
ホイットマンは朝窓を開けて
そこに咲く朝顔の花を見て
これ程うれしかった事はないといっている

彼はそこに「あいさつ」を見たのである
朝顔の花が 彼にあいさつをしているのを感じた
詩人はそのあいさつを見逃さない
それをとらえる意識神経があるのだ
そこにあるあいさつを見付け
詩人はそれによってオチャメをつかむである

これが分かると我々も詩人になるのである
ここから自分の中に大きい変化が起きるのだ

詩人は全てとあいさつすることにより
宇宙はオチャメにあふれていることを知る
そして彼はそこから
宇宙の讃美の歌を途切れることなく
紡ぎだすのである

2000.03.23.
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| 2000年 | 00:13 | TOP↑

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無意味の笑い

宇宙には限界がない
宇宙の奥は
意味のない世界
その意味のないものこそ 
限界のないものをつくれる

今までの人類は
意味のある世界をつくってきた
理性と理論を駆使し
結論を出すこと 答えを出すことに
努めて来た

答えを出すことは 限界をつくることである
限界のある世界は必ず行き詰まる
そういう牢獄の中に 人間は入っていった
自ら作った牢獄の中に入っていった

われわれのこの宇宙は牢獄ではない
それは意味づけ出来ない非合理の世界
そこには ほほ笑みがある

無意味には笑いがある
無意味の笑いが見つかったのだ
それがオチャメの笑いではないだろうか

2000.03.20.

| 2000年 | 19:27 | TOP↑

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挨拶の儀式から宇宙は始まる

宇宙は詩と神話のかたまりである 
それなのに
それを忘れて知的 合理的に
答えを求めて人は進んでゆく

その列車は終いに転覆する
走る線路を間違えているのである

その回路を立て直すために
人は太古から伝わる一つの儀式から
始めねばならない
月 太陽 大地への礼拝である

知的に何を研究しても
それは混乱を招くだけだ

人間は生れながらにして詩人である
ウオルトホイットマンは朝
窓を開けてそこに咲く
朝顔の花を見て
これ程うれしかった事はないと
いっている

彼はそこに「挨拶」を見たのである

宇宙の相互作用の中にある「挨拶」を
見よ
「挨拶」なくして創造も 破壊も 
保持もなされないのである
表面ばかりをとらえる学問から
足を洗え

超合理の物理学は
詩と神話を終いに見付けだす
数学も終いに芸術に行きつく

芸術作品は「挨拶」から
始まる
人間も芸術作品の一員に
帰らねばならない

仏陀やキリストの足蹟だけを
拝めるような
芸術作品に

それには一つの儀式から
始めねばならない
謙虚な自然人間になるために
合理の虚構は混乱をまねくのみだ
ソフトでピュアーな人間になろう

1994.08.28.

| 1994年 | 22:18 | TOP↑

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「有る」から「在る」へ転換せよ

ここに生きている魚が有る
あちらに絵に描いた魚が有る
同じ魚だが この二つをどちらが大切かと尋ねると
人は生きた魚が大切だと答える

これは生きた魚にしか価値を見ていないからである
人は世俗の価値にしか反応ない人間になっている

生きている魚と絵の魚の違いは表面的な
ものにすぎない
魚で在るということにおいて
全く同じ価値が在るのである
魚は魚として同じなのである

しかし人は 動くか動かないかの表面的な現れを
問題視してしまう
これは「有る」の世界観で生きている証拠である

魚は魚であり
「在る」ということの価値は同等である
宇宙の見方を「有る」から「在る」へ転換せよ
これが出来ると宇宙の奥深くに
参入することが出来るようになる

真実の価値は「存在がある」ということにかかっている
だから生きた魚が在るということと
絵の魚が在るということは同じなのである
芸術はここから誕生するのだ

有るという事はつまり
その大元において「在る」のだ
ここに生死を越えた躍動する生命がある
これを存在生命という

この存在生命という世界へ入っていったら
生きていようが 二次元のものであろうが
三次元であろうか関係がない
命の有る無しを超越する世界である
ここでは「有る」と「無い」を同時に扱えるのだ

有るということがある 
これが「在る」という生命をもっている
無いということがある
これが「無い」という生命をもっている

有るということも 無いということも同じだ
生きている人間も 絵の人間も同じだ
たとえ人が宇宙に散り消えて 無くなっても
無くなったというものが在る
そこに永遠の響がこだまする
人は消えてこそ 永遠をつかむのだ

価値の中に生きているから恨み 憎しみ 楽しみ
喜びも生れてくる
価値の産物を越えよ
そこに魂の絶対なる安住の世界が「在る」

1999.06.13.

| 1999年 | 11:04 | TOP↑

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病気治しと成仏の秘訣

人にはいろんな病気がある
その病気の原因に2種類在る
悪い物を食べて病気になった
これは科学的にはっきりしているので 医者に行ったらよい
病院に行ってもなおらないものがある
その原因は霊的なものである

知り合いの者がが恨んでいる または死んだものがひっついている
死んだ魂がちゃんと行くべき所へ行っていない
自分たちの先祖が死んだ人にうらまれている時も
生きている人がうまくいかない場合がある

40年前からの会員の医者が自分のところへ来ている一人の
患者を私の所へよこした
その患者は7年間医者に通っているが治らなかった
その病気で苦しんでいる患者が 私のところへきて三日もしない内に
良くなった

それら霊的原因の病気は薬で治らない 
この場合もやはり死んでいる人が その人にひっついていた
このひっついている人を成仏させれば病気は治る
そういうような意味で霊的な治癒というのは有り得る

しかしもし人が身体の調子がおかしくなった
疲れやすい 身体が重い あくびが続く 
だるさにおそわれるなどの症状がある時
霊的なものが作用している可能性が考えられる

その霊的なものを自分で落とす方法がある
これは誰も疑うような方法である
しかしこれは非常に霊力の高かった私の先生が
神様から直接教えてもらった方法である

それは自分の側で部屋を閉め切り
線香を12本焚くのである
特別なものでなく 空き缶に灰を入れて焚いてもよい

これを焚くと部屋中が煙になるが
線香が燃え尽きたら窓を開けて 煙を外に出すのである
すると煙と一緒に悪いスピリットもどこかへ行ってしまう

この方法の利点は自分自身で実践できることだ
特別な人に頼まなくともよいし
いつまでも拝まなくてもよいのである

宗教というのは人に死んだ人の事を拝みなさい
朝も昼も夜も年中拝みなさいというようなことを
要求するものさえあるのだ
宗教というのはそんな事をいって人をおどかして
人を集めている

また霊的なものに直接投げかけてやる言葉がある
それがその魂を鎮める方法になるのである
これは霊示により仏陀から教えて頂いたものだ

私がその言葉を仏陀に教えてもらった時の話をする
私が瞑想して人間の魂はどうなるべきかを仏陀に質問した
その時 仏陀の初めの言葉が聞こえて来た

(すでに恋は成って)

私の質問と答えがあわなかった
色恋のことなど聞いていないのに
なぜ恋愛についての言葉が返ってきたのか
分からなかった
そして仏陀からの次の言葉を待った

(希望の海 希望の波は正午であった)

そこまで聞いたらすぐ分かった
哲学の言葉では正午という言葉は
太陽が一番上に上ったということ
すでに恋は成ったという事は
あなたが神を 真理を求め神を恋こがれている情熱が
時計の針が12時をさすように最高潮に達している
つまり神に恋こがれているお前の気持ちを
受け取ったということを示していたのだ

つまり今やっと仏陀からの言葉を直に
聞く事のできる状態になったということなのである
そしてさらに言葉は続いた

(波波波と光の波動になって 宇宙中に散れ)

怒涛の如く打ち寄せる大波が 正に今 
天に向って直立し そこから大音をたてて
今にも崩れ去り 浜辺に消えてゆくように
光の波動と供に 自己自らを宇宙の中に
拡散させてしまえということなのであった  

これが自らが成仏し また人の魂をも
成仏させる秘訣の言葉であったのだ

宗教では 死後その宗教の拝んでいる神のところへ
行くこととされているが
そういう事皆間違っている
自分というもの今ここにある

行くべき所がある人というのは いつまでもあり続ける
つまり自分たちが行くところがあったのでは
自分たちはいつまでも消えないのだ
本当は自分たち 自己 魂というのは
消えていかなくてはならないのである

自分たちの魂が宇宙中に散ってしまうのである

自らの魂にもそれを言い聞かせ ひっついている魂にもそれを教える
教えると そこからきている身体の不調は
いっぺんになくなってしまう場合がある

この秘訣を知っていたらものすごく利益を得る
これがわからないから身体の不調で苦しんだり
死ぬ時もどうしてよいか分からなかったりするのだ

あなたの魂は間違った考えを捨てて 
光の波動となって宇宙中に散るように諭す
そして自分たちの魂も
おそれることなく宇宙中に散ってしまうのである

これが病気治しと成仏の秘訣なのである

1999.06.13.

| 1999年 | 15:03 | TOP↑

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どんぐりの水泳ぎ

ジムが4才の時の話である
彼はスイミングのレッスンを
受けていた

或る時 ラッセンに行って
小川のほとりで遊んでいた

そこにどんぐりがポトッと落ちた
そのポコポコと浮いている様子を見て
ジムが言った

「このどんぐりも 自分と同じ4才だね
だから泳げるのだね」

そこにある神話性というものは
素晴らしいものだ

神の世界をいくら説いても 
神話を考えずにいては 
本当の宇宙をつかめない

神話というものが分かってこなければ
神話というものが 
自分の中に現われてこなければ
人間は本当の人間になれない 

人間は宇宙の中にとけ入っていかないで 
自然を見ては
自らの欲望の下に
それを利用しようとしている 
それらをひざまずかせようとしている

これは人間中心主義といえる

人間が宇宙と一つになること
その一つになる事が もっとも正しい行為である
それ以外の考えは皆 間違っている
それ以外の考えは皆 自己を守ろうという
意識から来ている

神話をつかむには
宇宙の中に入っていこうとするなら
先ずは人間中心主義を
捨てる事である

1999.06.10.

| 1999年 | 00:10 | TOP↑

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