FC2ブログ

2019年02月 | ARCHIVE-SELECT | 2019年04月

| PAGE-SELECT |

≫ EDIT

失われた朝

朝が来た
鳥たちがきれいな鳴き声で歌う
人は 鳥たちも夜の明けるのに気づいて
歌っているのだと思っている

しかし鳥は 明るくなったから歌い始めるのでなく
太陽 月 地球のそれぞれの天体の動き 角度を察知して
歌い始めるのである

これは眼の見えない三宮麻由子さんが
20才になった時わかったことである

彼女もまた鋭敏な繊細な感性でそれが 天体の動きが感じられる
そしてさらにその神経は 人間の汚れた波動をも
感知してしまう

暗くて静かな状態から――5時
朝になるとザワザワ……してくる――
人間の汚れた波動が 
まだ地上に入って来ていないところに
だんだんと人間の意識波動が その空気の中に入ってくる
それで朝が来たことが分かるという

朝というものは
いつからこんなに汚れてしまったのか
朝とは暗闇が去り 光あふれ
希望に満ちる歓喜の時間ではなかったのか

人間は言語をつくった
その言語を使うことにより人々は
宇宙的響きを失ったのである
そこから人間の意識は汚れ始めた

言語をつくると「あちら」と「こちら」
「わたし」と「あなた」という相対的な言語がつくられてくる
そして人々は 相対の世界に落ち込んでしまい
「私のもの」という所有観念がおきてきた 
そこから損得の意識が生まれ
自己中心的な心が展開し始めたのである

大自然と連鎖し 躍動していた自己は失われた
相対の世界に落ち込んでから 
宇宙的な響を失い 魂の翼を失ってしまったのである

小鳥でも天体の動きの躍動を 全身で感じて歌い始めるのに
今の人間は 原始の自然の意志を感じなくなった人間集団
天体の透明な開きの角度など 全然感じなくなった人間集団に
なり切っているのである

太古の人々は全身で見 全身で聴く力をもっていた 
彼等はその感受性で宇宙と対話をしていた
そのような中で言語がつくられていった
しかしその言語というものの危険性に
気づいた人々がいたのである

彼らは それを人々に
警告しておかねばならないと思い立ち
人間の心がきれいな内に 多くの人々から詩を集め
その霊感の宇宙的響きを
未来の人々に伝える為に編纂されたのが
リグヴェーダだったのである

これはいわゆる未来の人々の為の警告書なのである

2000.05.24.
スポンサーサイト

| 2000年 | 23:06 | TOP↑

≫ EDIT

『鳥が教えてくれた空』に教えられたこと

三宮麻由子さんは4才で視力を失い 全盲となった

全盲なので 全身を眼とする 
感じることに意識が集中する
夜が明けて来るのも 
光が見えないから 全身で感じとっていく

彼女のエッセイ『鳥が教えてくれた空』という本に
次のような素晴らしい体験が書かれている

「二十年以上の時を超え 光が突然脳裏に蘇り
夜明けの実感という形で現われたのだ
空気は透き通り 人の臭いに染まる前の柔らかな光が
あたりに満ちている

(中略)私は夜がこうして明けていくことに
ひたすら感動した……
自然のサイクルが 光を引っ張ってくること
天体の自転が生物の躍動を呼び覚ますことに 
限りない美しさを覚えた……」

この体験の一言一言は大変貴重なものを 
我々に提供してくれている 
即ち私たちは朝 鳥が歌い始めるのは
太陽が昇って明るくなったので 鳥がよろこんで
歌いはじめるのだとそう思い込んでいる 

だが夜が明けて 明るくなったから鳥が歌い始めるのでのではなくて
天体の自転が 生物の躍動を呼び覚まし 
鳥たちが歌い始めるのだということを彼女が体験したのだ 

これは彼女が 知識で自然を知ったとのではなく 
全身で自然の波動の命を知ったということである 
素晴らしいことである……

このように宇宙というものは 知識で捉える世界ではないのだ
感性の世界 味わい取る世界 割り切ることの出来ない世界 
そこに神話の世界がある

リグヴェーダに暁光の女神ウシャスの詩をうたったものがある

太陽が昇ったので東の空が 紅に染まったのではなく
暁光の女神ウシャスが太陽を導き出して来る……

太古の人々はこのようにこういうすばらしい捉え方
をすることが出来たのであろう
ウシャス女神が 空を赤く染めて太陽をひっぱり出す

リグヴェーダ時代の詩人はウシャスが太陽を引っ張ってくる様を
感じ取れたのである
そして同じく三宮さんも リグヴェーダ当時の詩人と同じく
その波動を感じ 捉えることが出来た

表面的な眼の世界で生きていたのではなく 
天体の響きを感じる奥深い神経こそが 神話への
鍵となるのだ

2000.05.23.

| 2000年 | 00:18 | TOP↑

≫ EDIT

人間であることをやめよ

ニーチェの無意味の思想
これは大変な内容である

我々は意味のある世界に住んでいる
意味があるから正しいとする世界に住んでいる
それが 人の理性になってきた

そうして自分たちは神話性を失った間違った人生を
生きて来たのである
人間のこんな小さい頭で考えた理性など
とんでもないことである

この宇宙は理性で捉えられるほど 小さくはないのだ
この人間も理性で捉えられるほど 単純ではないのだ

あえて言えば 私たちは本当は人間ではないのである
自分たちは人間ではない…… 
ここから出発するのだ

これは言葉を大昔に人間がつくってからこうなった
様々なものに名がつけられ
人間という言葉がつくられ
あなたと私 私のもの 損と得 善と悪がでてきた

世の中の人がクリアにいかなくなり
それを整えるために 宗教道徳の教えが生まれた
しかしその教えが さらに問題を増やしていっている

まず人間を捨てよ
捨ててしまわないと本当のものがやって来ない
思考する世界から離れよ
考えるといつまでも人間がある

人間が消えた時 どんなになるのであろうか
その時本当のものになる

本当のものとは物質である
我々は人間でなくて物質 物なのである
物である肉体が 思考を離れた肉体が
詩的感性を呼び覚ますのである
物に帰ると 宇宙にたやすく参入できるのだ

2000.05.22.

| 2000年 | 00:17 | TOP↑

≫ EDIT

ニーチェの無意味の発見

ドイツの哲学者 ニーチェのニヒリズムの思想
つまり宇宙というものは 無意味であるという言葉
ここに偉大なニーチェの発見がある
これが分かると 自己の中に大きな変化がおきてくる

無意味とはどういうことか
それは意味づけされた世界を 宇宙を詩的感性によって
ぶち破ることなのだ

宇宙は意味づけされたものによって動いているのではない
いくら浅はかな知恵で理論を組み立てても
宇宙の実態というものは人間の小さい頭ではわからない

自分たちの頭につまらない知識が一杯入っている
その知識 間違った考えが脳を動かしている

間違った考えというのは 意味づけた考えである
私たちがこれで脳を動かした結果 こんな世界が
生まれてしまったのである

無意味とはなにか
無意味そのものが神話である
意味のあるものは 神話ではない

神話物語には意味あるロジックが入っている
ゆえに神話物語は神話ではないのである

神話というものをみつけるのは 非常にむずかしい
なぜなら自分たちの前には 全て意味づけされた合理主義しか
ないからである
神話物語さえ合理主義に含まれる

では神話はどこにあるのか
それは小さい子供たちのいう言葉の中に
詩や神話が一杯入っている

合理の中で苦しむ大人は
子どもたちのいう言葉の中から
詩や神話をかいま見よ
そこに無意味なる神話が 音のない音楽のように
溢れているのを感じるだろう

2000.05.21.

| 2000年 | 00:15 | TOP↑

≫ EDIT

線とユーモアの関係は

瞬間の隙間をねらって 点が飛び出す
点は 時間の懐で線となった

その線が躍動の生きものとなった
線はほほえみ踊りだし 舞い始めた
こうして線は平面となった

その平面は更に上下左右に 踊り始めた
立方が出来た
永い時間が過ぎ去り
その立方は 平面となった
そして更に線となり 点となって消えてしまった

……永い年月 時間がたった
線と平面と立方体がまた現れて
舞い始めた
その舞はオチャメの舞 踊りであった

この宇宙には 完全な有も無も無いのである
それらはすべて踊り 舞い続けている
有るのは オチャメの舞だけである

2001.03.26.

モンテ(ハイスクールのカウンセラー)からの質問
「線とユーモアの関係について話して教えてほしい」
に霊感をもって彼に答えたときのもの

| 2001年 | 21:03 | TOP↑

≫ EDIT

無意味のゆりかご

自分たちの頭の中に入っている合理的な知識を捨てないかぎり
人は踊ることは出来ない

合理は時間と因果に支えられている
これによって人は自らを縛りつけ
一見賢そうな顔をよそおっている
聖者とよばれる人さえ賢そうな顔をしている

ところが 言語と窮屈な合理によって作られた
賢そうな顔というのは良くない
反対にアホのような顔にならないと
躍動はやってこないのだ

私が昨年12月23日 ランバージャックという店に
材木を買いに行った時のことである
私の車に注文した材木を積んでくれた若い男がいる
私はサンキュウと言って その男の顔を近くで見てびっくりした

賢そうな顔ではない アホのような顔であった
欲にまみれた知識が 頭の中に全く入っていない顔だ
言語と合理に全く毒されていない顔だ

私はその知と論理をこえたアホの男の顔に魅せられて
しまったのである

私も今までは賢くなろう なろうと励んで生きて来た
しかし私はその男の顔を見た時
その考えがひっくり返ってしまった
頭の中に知識を一杯入っている自分は
悪い人間だと分かったのだ

私はこういう顔をもった人間に出会ったのは
始めてであった
その顔は私にとっては鏡だった
鏡を見て 遅まきながら
始めて己の姿を理解したのであった
そして人間は 知識を超越して輝くこのような顔を
もつ必要があることを実感した

そこで私は
どうしたら 頭の中の知識を捨てられるか考えた
自分の中の合理性を やっつけられるのか考えた

合理は因果性 つまり一方向だけの時間の方向性
によってかつがれているものである
それを超えるためには
宇宙の大きな無意味をもってこなければならない
そこでひとつのアイディアを考えた

椅子に座って 無意味のゆりかごを考えて
揺すった
そのゆりかごで揺すっていると 頭からだんだん合理が
遠のいていった
合理に疲れ緊張していた魂が
解き放たれて来たのである
そしてさらに 右に左にゆれるその形の構図は
時間の一方的な方向性を打ち消したのだ

合理の知識があちらに行って 
あちらがこちらに入って来て入れ替わる
緊張も束縛も揺れの中で崩れてゆく

それが本当の状態
これが無意味の宇宙
意味付けされた宇宙があちらへ行ってしまって
無意味の宇宙がこの中に入って来る
それが本当の人間である

2000.03.27.

| 2000年 | 23:53 | TOP↑

≫ EDIT

時間も踊る無意味の宇宙

人類は一万年間 間違った道を歩んでいる
それは言葉を創ったことによる

一万年前は言葉をもっていなかった
その時 人は太陽とも月とも大地とも人間 
樹々とも石とも皆一つだった

ところが人は石 人 月 私 あなたと
いろんな言葉を創った
そのため これは私 月 太陽 石 と分れてしまった
そこから人は 間違った考えがおき 
苦しみをもつようになった

そして終いに自分中心の人間になって 
自分を守ることだけが大事になった
存在物との詩的で神話的つながりは消え
自己を守る事だけが中心となり
自分以外のものに恐れをもつようになった

そして多くの聖者たちが
それらの人々の悩みを除こうと多くの教えを説いた
その教えというものは 言葉と合理によって
意味付けされたものであり
それを理解するよう強いられてきた

そして歴史を通じて 代々強いられてきたものが
人間の理性となった
理性は原因と結果の因果律を導き出し
人はますます行為に縛られていった

原因と結果の観測によって
科学の発見はなされたが 
それは宇宙の表面的なことを見つけただけである
科学者のほとんどが宇宙の表面を見ているだけである

過去から未来に進む時間というものにおいてのみ
因果律や科学は成り立つ
その時間の奥に何があるのか
その奥には意味付け出来る世界を超えた無意味の宇宙がある

例えば時間は矢のように一定方向に走るように思われているが
本当はそうではなく
前にいったり 後ろにいったり自由に動く
時間ひとつでも止まった時間というものもなければ
一つの方向というものもない
そのように宇宙の深層というものは 我々には計り知れない

宇宙の知恵は謎に満ちている
そのような宇宙に存在する人間には
意味付けた世界は崩壊してしまうのだ

ところが人間は一万年間 強いられた理性に
よって こうあるべきだと言い続けて来た
そういうものに人間が縛られて来た
人間は一万年間 言語によって 
理性によって 意味付けた教えによって 
自由を失って来た

それをよく認識することだ 
そうすると 自分の中からそういうものを
破つ力が湧いてくる
その力が躍動と踊りとなる

無意味が踊りを導き出す
そこでは 過去と未来の両手を繰り出しながら
時間それ自身も踊り出す

2000.03.26.

| 2000年 | 23:51 | TOP↑

| PAGE-SELECT |