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2019年05月 | ARCHIVE-SELECT | 2019年07月

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落葉から生命の躍動モーターへ

① 人間は人間でない。人間は時間である。
今までの歴史は、人間は人間であるという間違った人間の歴史であった。

② 未来時間と現在時間の関係

現在時間(矢印)が進行出来るのは前に開きの時間(コイル状の曲線)があるからである。
開きの時間は未来時間の特徴である。

1.自分が進んでいける 
2.開きに誘われているということでもある
つまり未来時間に呑み込まれて現在時間が進行しているということ。

③ 落葉になる。
人間でなしに落葉になる。
これが人間というものの今日までの意識をやっつけるための方法論、
テクニックで用いられた言葉である。
この矢印は落ち葉を運ぶ川の流れであると考える。
そして落葉はその川の流れに身をゆだねる。
あるいは引っ張られて流れていく。

この落葉を矢印の上にのっていると見ても良いし、
又二つの関係にあるこの図形の時間性の進行の流れに乗っている落葉であると
考えられる。
とにかく人間は流れのうえに乗っている。

そのように我々は人間でなしに落葉であると想定する。
そうすることによって人間という意識が薄れて来る。

これを毎晩寝ながら瞑想していると
即ち流れている落葉に自分がなるわけです。
そうすることによって人間意識が薄らいでくる
自分が落葉となる
そのように寝る時瞑想していると、直ぐ眠れるようになった

ところで落葉と考えている意識が朝まで続いている。
これが潜在意識に入る。
これを続けていた数日後、その落ち葉が光はじめたのを感じた。
それが意識で見える。

実際その落葉が、自分にとって救世主の様な役をなした。
それによって人間意識が少しずつ薄らいだが、人間意識が薄らぐ度合いによって、
落葉の光る度合いが増していった。

この落葉になると、人間が今までもっていた誇り、知力、人間は偉いのだ
という人間欲、相対物の間において権威をもっている人間のもの、
見えなかった権威が消え落ちる。
即ち権威がなくなっていく。

そうすると人間は謙虚になる。
この謙虚の在り様に自然となった。
そして優しくなるのを感じた。
これは本性が出動した状態なのであろう。

やはりやさしくとか親切とかは孔子が言うように、取って付けて教えて
なるものでなく、本性が顕われるとそうなれる。
そのためには一番問題になっていた人間という言語、意識、そこにまつわる
権威を消し去ることだ。
そのために落葉は非常に役立つのである。

④ 今書いたこの図形をよく頭の中に描いて、展開しておく必要がある。
ここに登場するのは、酸素は酸素を呼吸して生きている、という啓示である。

自己というのは、この未来時間と矢印 
現在時間のいづれが自己であるかを確かめる必要がある。
現在時間が生きている。
この自己はたしかに現在時間であり現在時間を所有している、
矢印であることはたしかである。
だからひとまずその矢印に意識を集め、そこに落葉をもっていく。

ところがこの矢印の現在時間は、この世に現われたものであるが
この矢印の現れる以前に未来時間という宇宙が始まる以前からあったもの、
この無限なる未来時間が、この矢印を創ったのである。

そうすると自己というものは、矢印だけが自己ではない。
矢印の現れる以前のもの、無限なる無時間なる未来時間そのものも自己なのだ。

矢印がアートマンであればブラフマンは未来時間、丸い図形である。
言いかえれば丸い図形は宇宙意志のようなもので、そこには開きがある。

そこにその二つの関係の中に自分を見つけることができる。
二つとも自分なのである。
そしてそれは同時に進行している。

この二つの関係の中へ、自己の意識を焦点を合わせる。
そうすると今までの震えとちがう震えがやって来る。
今までの震えは瞬間というものと、真実なるものが触れ合った時、背中のA点に
電撃が起きて震えたものであった。
このA点の震えを強力なものにしようとずっと以前から考えていた。

こうしてこの円と矢印の関係の中に意識焦点を集めると
だんだん足の方から震えの電撃が起きて来るようになった。
これを三日ほど続けていると今朝やっと実現がやってきた。

その丸い円と矢印の棒がふれあっている点がいくつかある。
そのふれ合っているところがものとものとの関係の点である。

⑤ 以上の事を数日繰り返していたが、わずかな電撃しかこなかった。
即ち瞬間的震えしか来なかった。
ところが酸素が酸素を呼吸して生きているという啓示をそこに当てはめた。

この芸当はちょっとむづかしい
酸素が酸素を呼吸して生きている。
結局、酸素は酸素を呼吸しないと酸素は生きて来ない。

即ちこの二つの図形を呼吸しないと、人間――自分は生きていない。
今の人間はこの関係を知っていないから生きているとは言えないのである。

人間が生きようと思えば、自分が本当の自分になろうと思えば
酸素が酸素を呼吸しないと生きて来ないように
自己が自己を呼吸しないと永遠の生きたものとなれない。
今の人間は生きていない。
栄養物を食べてやっと生命を保っているだけの存在なのである。

酸素が酸素を呼吸していきているこの自己なる図形、ここにおいても
図形が図形を呼吸して生きているという瞑想に入ると
連続的な震えショックが起きて来た。
動き、震えが連続化した。

つまりこの図形全体が自己なのであり、その自己を呼吸して生きているということを
その矢印と円との関係そのものを自分の中に入れ込むのである。
この自己なる図形を呼吸する、即ち呑み込む、あるいは入れ込むと
その図形が自己であることが震えとして実感出来るのである。

いままでのA点の震えも瞬間であり、足のほうからの震えも瞬間的だったが、
連続的震えに変わった。
ここでやっと連続的な生命を得ることが出来た。

そこで分かる事がある。
この図形はモーターを動かすコイルの図形と同じなのである。

円形は巻いている銅線であり、そこに棒を入れるとコイルになり
N極とS極が生まれてコイルになる。
これによってモーターができる。

これが生命のモーターである。
生命の物理学であり、人間は時間というもののモーターなのだ。
これで永遠の生命の回転の瞬間の中に入れるのだ。
自己が自己を呑み込んで震えて来る。
永遠の生命の躍動がここにある。

2005.05.17.
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| エッセイ | 16:16 | TOP↑

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光る落葉

無限の時間である人間が、無限の未来時間に呑み込まれ進行してゆく。
その様は正に舞そのもの、踊りそのものです。
しかし、今いったように、それが分ったからとて自分がそうなれる
わけではありません。
なぜなら、自分は「人間だ」という意識が全身にしみついているからです。

そこで認識から体験という実現へと自己が導かれねばなりません。
いわゆる創造の歴史に移るのです。
例えばデカルトは認識哲学者したが,ヴィーコは神話と詩の世界を説き、
人間が自己を改造せねばならぬという神話(本性)への創造哲学者として
登場しました。

しかし……人間はそれを理解出来ても、本当にそうなれずにもたもた
するのです。
なぜならどうしても「人間」という意識がそれを邪魔しているからです。

では、未来時間に呑み込まれて流れてゆく自己はどこで、どのように
人間意識から別れられるのでしょうか。
それには一旦、現前の景色を直視し、何も考えずに思考を止めて、静かに
(力まず)現前を見すえるだけにします。
すると思考が止まり、全身がピクピク震動し始めます。
即ちそれが目覚めなのです。

その思考を止める体験を何回か重ねていると、自己が震動するものだという
ことが分かってきます。 
そして自分は人間というものでなくて、こんな震動するものが自分なのかと
分かってきます。
波動、時間……これが自己である事が分かり、次第に人間から離れてゆきます。

次にもっとあざやかに、その人間という意識から離れる為に次のように
考えていきましょう。
この流れに吸い込まれ、流れてゆく自分(現在時間)
その流れてゆく自分をまるで流されてゆく落葉のような状態だと思って下さい。
自分を落ち葉と想定してみるのです。

そう思うと人間は(自分は人間だ)と思っている権威が落ちてしまいます。
人間でなく、一枚の落葉になのだ……
すると全身に宿っていた権威……(私は人間さまだ)というその人間さまが落ちて
しまうのです。
すると……そばにいるものに親切にやさしく行為することが出来て来ます。

ふいにそんな行為が起きてくるのです。
これが創造です。
真実の自己が出来てきたのです。

人はいつも権威の中にいます。
だから叱られたり、悪口を言われたり、くさされたり、疑われたり、
跳ね除けにされたりすると怒るのです。
それは権威の産物です。
人は権威を捨てるべきです。
人間から落葉になって未来時間に流されてゆくのです。
自力で生きようとせずに。

……人はいつも自力で生きようとしています。
だからよけい権威が出てくるのです。
人は時間の流れをゆく落葉なのです。
即ち力みをもたない踊って、オチャメで親切でやさしい時間を超えた竪琴なのです。
きれいな音色をかなでる竪琴なのです。

人間を卒業してください。
それが元々からある自分なのです。
神話から生まれた赤ん坊です。
赤ん坊は無心にニコニコ笑います。
これは竪琴の笑いです。

親切でやさしいことは創造です。神話です。
しかし怒ることは創造ではありません。神話ではありません。
爆弾も神話ではありません。

アメリカインディアンの一言を、尊い一言をここに紹介します。
「子供のように笑うことは、神と共に踊ることである」

| エッセイ | 23:38 | TOP↑

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寸刻・寸刻の開き

……「光が斜めに走ったそこから宇宙が創造された」
これは太古のリグ・ヴェーダの詩人の歌ったものです。
すごいことを言ったものですね。
これには驚きます。

次はいつも話す話しですが、内の光司君が、四才の時に
「僕はワニの目の中から生まれた。」と言ってキャッキャッと笑ったのです。

これは水族館の池の中に入れられているワニを見て、その静かで平和に
居眠ているワニの眼を見ていて、その非合理な、柔らかい波動の世界の中に、
自分の古里を見たのです。

しかし、それをもっと分析しますと、その静けさや平安さばかりではなく、その目が
静かに、徐々に開いたそこに「開き」の角度を見たのではないかと思います。
子供の魂はその寸刻、寸刻の開きの中に吸い込まれていったのでしょう。

そして、その光司君がそれから十年程たった或る日のこと、次のような詩を書きました。
「夜空の星がワニの目に見える。それを深く見ていると、自分の魂が見える」と。

星のきらめきは透明でしょう。
その星の透明なささやきを受けとめること、
その透明な開きの角度を自分の懐に入れること。
角度は神話そのもの。……
黄金の麦穂が揺れている。
透明な斜めの線が交差して踊る。
詩人はそれを見逃さない。

| エッセイ | 22:21 | TOP↑

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斜めの線

さて、私はいつも「宇宙は幾何学的な構造をもっている」と言っています。
そして、宇宙は一本の斜めの線から出来上ってきているといいます。
斜めとは「開き」を意味します。
そしてそこから、運動と物の生成と破壊という変化が起きて来ています。

宇宙はこのように宇宙根源の「開き」という角度をもった「原始意志」によって
動いています。
その斜めの角度は、決まりきり、固まりきった合理的なものではなく、
なめらかに物を処理する、半導体的な性格をもっています。

私はある日、この広い広い空間の性質を半導体的空間と考えたことがあります。
半導体というものは簡単にいって穴の開いたものと、穴のつまったものとの
組み合わせになっています。
そのつまったものが開いている方に流れ込む。
そしてそれが自動的に速やかな運動を起こす、というような構造になっています。

……そこで私は、その穴(開き)と、そこに起きる運動を想像し、味わいながら、
空を眺めて庭を掃除していたのです。
するとその時、私の手が急に斜めに上がり、ホウキをもったまま踊り始めたのです。
ふいの出来事だったのでびっくりしました。
……踊ろうと思っていなかった。
それなのに、開きと運動を考えた途端に、私の体は斜めになって、
両手を上げて踊ってしまったのです。

これを宇宙の踊りと言うのでしょうね。
不思議なことも起きるものですね。
ふいに両手を挙げて宇宙に吸い込まれるようになったのです。
人ははすかいをイメージすると、その開きの系の中へ吸い込まれ、
踊り入ってしまうのですね。

こういう動きを起こさせる「開き」と「斜め」のただの一本の線、
それが自分たちの古里への入口なのですね。

……この話しを聞いていたある人が、
「斜めって素晴らしいですね。私の踊りの先生もそう言っていました。
体が宇宙の隙間に斜めに入れた時は、ものすごく立派に踊れた。
しかしそういう事は一生で二、三回しかなかった……。」
と話していました。

宇宙はこうして斜めの線の角度から、運動とエネルギーが創られてくるのでしょうね。

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