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矢印も生きている

人間の持つ楽しみは、小さなものの中へ入り込んでゆきます。大きいもの、長い距離、それが人間を幸せにしてくれます。
それと踊りと舞と遊戯というものを取り戻す事です。直線であると物は折れてしまいます。少しの小さい楽しみだけの中で生きている人間にとって、それ以外にどんな楽しみがあるのか、余り考えてもみません。

自然に眼を移して下さい。花も星もきれいです。しかしもっときれいなものが至る所にあります。まだ人が全然気付いていない神話性とか詩とかいうものがあります。

1+1=2になります。2-2=0になります。これを不思議とも、面白いとも、神秘とも思えない人間になっているのです。この中に詩があり、神話があると誰も気付いていません。

矢印一つでも詩であり神話なのです。生きものなのです。人間は生きて動いているものだけを生き物と思っています。
石ころでも、花でも、矢印でも1とか2とかいう数字でも、皆生きているのです。
下の矢印を見て下さい。

img068.jpg

矢印が皆さんに挨拶をしているのです。
今までこういう事の分った人はほとんどいないのです。
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| エッセイ | 21:50 | TOP↑

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2006年3月の御霊祭へのメッセージ ⑤

さて、私が今まで7才~81才までに修行と勉学と瞑想と神通力を通してやっと見つけたものがあります。それは物質即ち石、木、空気、時間、距離、肉体といった物質の方が、人間の頭より賢いという事です 或いは神より物質のほうが賢いかもしれません。 

物質は我慢して人間から利用されたり、下級な品物と思われているが、我慢してくれています。これらが一旦怒り出したら、人間などひとたまりもなく吹っ飛んでしまいます。
その証拠に最近はいたる所に嵐、地滑り、地震が起きています。この辺で人間は生きる方向性、心の持ち方を改めなければ、永遠の地獄を造ってしまうかも知れません。

今まで私は宗教、哲学、科学、数学等を通して宇宙の奥へ入って来ましたが、最近になって見つけたものがあります
それは、先年のドルガプジャのメッセージに黄金(金)の音波と黄金の色彩というものが宇宙の一番奥にある事を書いて送りましたが、もう一つ見つかったものがあります。それは黄金(金)の香りというものです。.

黄金の音波と黄金の色彩と黄金の香りの3つによってまず時間が創られた。そして、それから距離が出来、それから物が出来て来て、この宇宙が出来たのだと分って来たのです。だから人間から金の香りが出てくるようにがんばらねばなりません。

そうなる事が『神話の人』となることです。考えてみるに人からこの香りが出ているのです。今では汚れた人間になりきっているので少ししか出ていませんが、神話の香り即ち黄金の香りが全身から出ているのです。それをかぐ鼻を持っていないだけです。

その内、それに気を付けていると、その香りをかげる神経が出来て来ます。現在、私の口から出る声の中から、黄金の音波が出ています。その内私が日本に帰って歌う歌声の中に、その黄金の音を聞く機会にめぐまれるでしょう。

2006.03.19.

| 講話など | 23:43 | TOP↑

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2006年3月の御霊祭へのメッセージ ④

太古においては人間は神のような生き物だったのです。
snap_mythpoem_2019112171513.jpg

上の丸い領域を創造主としておきましょう
哲学では根源といいます。

下に放射状に拡がる領域があります。
この中に物質宇宙があり、神々、人間その他の自然物の存在する場になります。

だから物質宇宙にいる人間はその故郷なる根源に帰るなら、きれいな人間になれるというのが、ヒンドゥ教の教えですし、仏教の教えでもあります。

しかしそこに不完全な教えが見つかりました。それらは下図のように創造主或いは根源と物質宇宙の間に『神話』と言う世界のある事に気付いていませんでした。
snap_mythpoem_2019112172628.jpg

中央の丸く囲まれた場が神話の領域です。
この図は何を意味するのかというと、神話という子供のような素朴な心の道を通らないと根源なる古里に帰れないのだという事です。

この下の図こそ私が天から啓示をうけて知ったものです。今日の話は『神話』の道を通らないと自己を完全なものにもどせないのだという図界入りの説明でした。しかし、この道を通ろうと思えば今までの宗教や科学の道だけでは不十分です。それには超科学というものが必要になってきます。

| 講話など | 21:28 | TOP↑

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2006年3月の御霊祭へのメッセージ ③

――我々の歴史を考えてみましても、間違い多い歴史であって、そんな間違った歴史から受けている知識を頭に詰め込んで、それで良しとし、それを理性として生きています。
ところがそれが、もしほとんど間違ったものであったらどうしますか。それを元に返すのにどうしますか。もうどうしようもないのです。人々はこのどうしようもない道を今歩んでいるのです。後戻りする道を教えてくれる人もいなければ、今歩いている道が間違っていると教えてくれる人も居ないのです。

我々のDNAにそんな間違いだらけのものがつめこまれているのです。そしてそれを子から孫へと伝え行くのです。伝えられた者は又、不孝な人生を長い間送らねばなりません。

それを一番始めに気付いたのが、イタリーのヴィーコ(神話理論家)という人です。次にそれから70年程後に、ドイツのヘルダーという人がそのヴィーコの書物を読んで、神話研究の必要性を発見しました。
そしてそのヘルダーに影響されたのが、あの有名な詩人のゲーテです。それからドイツに一度に神話学派の学者が増え、ドイツの文学会を活気あるものに変えてしまいました。そして世界中に神話学者がたくさん出て来ました。
しかしこの話の始めに述べたように、神話物語を神話と思っている人々もいます。なぜなら、本物の『神話』というものへの理解が中々難しくて、それを掴む事が普通では出来ないからなのです。

これは知識と違って、例えば子供がもっている生まれながらの知恵のようなもの、そんな知恵即ち汚れていない(知的に汚れていない)きれいな知恵のことです。だから我々には子供の頃には神話的な知恵で、全身が出来上っていたのです。それを少年期、青年期を通して汚れが出来上がっていったのです。

だからそれを取り戻すには子供に帰らねばならないのです。大人は欲のかたまりになっているのです。子供は欲がなく、清らかな花みたいなものなのです。恐れを知らぬ、悪も知らぬ、欲も知らぬ、恨む事も憎む事も悪だくみも野心もありません。神という事もありません。仏という事もありません。宗教も科学も数学もありません。

| 講話など | 20:46 | TOP↑

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2006年3月の御霊祭へのメッセージ ②

私は仏教もしました。ヒンズー教もしました。しかし申し訳ない事ですが、それらは私にとって、十分なものではありませんでした。
なぜなら、私には7才の頃からある一つの事の研究と実現に心がしぼられていて、これをやらねば人類は救われないという信念を持っていたからです。それは『神話』的人間に全人類は変わらねば、人はおろか社会が本当のものにならないという、ある一つの天命を受けている自己に気付いていた。それが81才になるまで、7才の時からずっとそれが続いて来ているのです。

今の人は『神話』というと何の事かも分っていません。これは神話の物語の事を言っているのではありません。現代人は神話といったら神話的物語のことを神話々々と言って居ります。
……『神話』と言ったら、真理の姿の事です。真理の姿といっても、まだ十分に分からないでしょうが、今の人々の姿というものは、今まで学んで来た知識とか、親から教えられた道徳その他の常識とか、そういう知識と違って、星空が美しいとか感じたり、花を見て美しいとか感じる感性というものがあります。
これは教えられて知ったものでなく、生れた時から身についているものです。
こういうのが詩情につながって詩を書いたり、それを音楽や絵でもってその美感を表現したりします。――このように知識として詰め込んだものと、生まれつきあるものとの二種類を我々は持っています。しかし知識というものは往々にして、間違ったものを頭に詰め込んでいる場合があります。

| 講話など | 20:40 | TOP↑

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2006年3月の御霊祭へのメッセージ ①

皆さんに
お彼岸の御霊祭りですね。さて来年は当ソサイティが出来て50年になります。私が32才の夏に創設したものです。その間、私の研究と宗教と哲学と科学の総合によって宇宙の真理を究めようとする努力でした。むろん数学もその内に入りますが、これらの中で最も中心的になるものは、神への信仰による霊力の獲得でした。これなくして、宇宙の奥は無論のこと、各学問の奥にも入ってゆけません。

それ故に私は25才の時、姫金神教という神道の教会に弟子入りしました。そこの教会の親先生は女性で、世にもまれなる立派な神の人としか言いようのない人で、その師の元で5年間宗教生活と神通力を得て、様々な霊的体験をしましたが、その生活の中で一番基本的な事を身に付けたのは,一旦宗教家を目ざす者は、多くの信者を集めて喜ぶような宗教を造ってはならない――宗教家はいちずに、真理の探究のみに努める事、それと宗教は科学的でなければならない――という、その大切な事に自己を一貫させる事――と言う事でした。だから今でも信者が5、6人になっても平気です。真理をきわめる事だけが大切な事です。

| 講話など | 20:48 | TOP↑

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日本のドルガプジャへのメッセージ

今年は第30回のドルガプジャです。1973年に始めて日本の大阪の我々の本部でドルガ女神のお祭りをしたのです。それで、ドルガ女神は日本でもお祭りをしてもらえるので大変よろこばれました。

そして1975年、その2年後にはナーラーヤン先生がアメリカに行かれ、アメリカでもドルガのお祭りを始められた………といういうわけです。そして先生の写真やお弟子さんが写真をとると、そこに白光の光として、女神の魂が現われる………という不思議な事が起きています。

次はアメリカの先生から本年度贈られて来たメッセージを読み上げさせていただきますが、そこにも不思議な出来事が書かれてあります。
アンが6月のなかばに日本に帰った、その後の出来ごとです。

7月の或る日、いつものように七面鳥の群れ15羽位が庭に入って来ていました。
これは、これまでは畑に入っては困るので、時々は追うようにしていました。
むろん人間が近かづきますと、そそくさと逃げて移動し始めるのです。

ところがその日は、全然ちがった事が起きたのです。私がその七面鳥の群れに近寄ると、やはり逃げ始め、我々の屋敷内から外へ出て行きました……。

しかしふと眼の前に、一羽の七面鳥が下を向いて、餌をついばんでいるのです。私は何か錯覚が起きたのかと、呆然と見とれていました。(この一羽の七面鳥は眼がみえないのだ。だから私が1m程の所に立っていても、私が見れないのだ)と思い込んで、それを見ていました。眼を他にむけると、逃げた15匹近い七面鳥がどんどん遠くへ移動していっています。この一羽だけ逃げ遅れたのでした。

私はそれで、その逃げ遅れた1羽の七面鳥を少しあわれに思って見ていました。そして、やはり眼が見えないのだな……と思いながら見ていましたが、その1匹を可哀相に……と思っていたものが、そこにある少しの水溜りの水を飲み始めたのです。

そこで私はやっと、この鳥は眼が見えるのだ、と気付いたのです。よく考えたら眼が見えていないはずはないのです。それまで5分間程見ている間でも、ちゃんと餌をついばんでいるのですから、見えているのです。それなのになぜそれがわからなかったのでしょう。それは七面鳥は皆逃げるものと思いこんでいたからです。

私の足許にいるその七面鳥を私は見下ろしている、それなのに私に気にも留めず、私の身近かにいてくれたからでした。私はそのかわいい垢ぬけした子供の七面鳥のそばで、15分ぐらい一緒に時を過ごしていました。そしてやっと私の心に、次のような考えが湧いて来ました

仲間の他の鳥はどこかに行ってしまった。それをどうするのだろう。……皆の行った所が分らない、その哀れさが、その1羽の鳥に集められていたのです。

いつも七面鳥の群を見ると、追っていたのにこの鳥は逃げない。これは、神がこの1羽を私の前に現わしてくれたものだ……と思うと、それが光って見えるように
なりました。(七面鳥を追ってはいけないよ)と、言われているのだ……と思いました。そして 私自身を「哀れ」に思えるようになったのです。

「哀れ」なのは人間の方でした。何かあると、動物などの生き物を人間扱いしないのが人間です。そしてそれらを見下げ、我々は人間だ……これらは人間ではない……という差別をもって見ている人間。 それが「哀れ」になって来たのです。

神様がそういう事を教える為に、今日はその1羽の七面鳥をつくって、私の眼の前に置き、離れなかったのだ……。これからは七面鳥の群れが庭にやって来ても追わないことにする……と決心しました。

そして七面鳥こそ、ここの住人であって、そこへ我々人間様が入って来て、これは我々の土地だと言っているのです。これではいけない。心を改めて、この土地を彼らと共に共有しよう……という気になりました。

我々は七面鳥ばかりでなく、人でもそうです。善し悪しで眺めます。その、そう眺める者そのものが、自分そのものが「哀れ」な者であるのだ、と自分に言い聞かせました。

善し悪しはないのだ。全て、この地球上にいる共有者だ。自分から他を見るのでなく、同じ位置にいるべきだ。自分と他を分けているから、良し悪しが出て来るのだ。「哀れ」なのは人間であり、自分なのだと反省しました。

このようにして、人間以外の生き物をも大切に扱い、地球上に同じく生き、住んでいるという共同体生活という心のかまえが出来てきたのです。すると七面鳥の群が庭に来ても我々が5mぐらいの所に来ても、逃げずに安心しきって餌をついばむようになりました。

こうして7月8月9月はすぎ10月4日となりました。
……ちょうどドルガ・プジャが9日から始まるので、その準備を少しずつ始めようとしている時でした。10月4日の朝食時に、いつものように七面鳥の13羽の群が庭の大きい池に来て、一列に並んで水を飲んでいました。

朝食をとりながら我々5人(私 メアリ マヤ アラン フランク)が眺めて、七面鳥が水を飲んでいる……と言いながら、あれが白鳥のように白いのがいたら良いのになあ……と口々に言うし、七面鳥が黒いまだらな羽なので、ある者は「黒くて汚いし、格好がハゲタカみたいで気持ち悪い、白かったらねぇ……」などと七面鳥があまり格好のいい鳥でないので白鳥のようようなのがいたら、どんなにか庭と池に良い風景をそえてくれるのに……と思った事を口々に言ったのです。

そして一夜は開けました。そしたら翌朝食事の時に、またいつものように13羽の黒い七面鳥の中に、白い七面鳥が3羽混じっているのが見つかりました。私たちは自分の眼を疑いました!!まさに天から降って湧いたものとしか思えません。

私は始め、あの3羽は一夜の内に真白になったのだと思いました。そうでないとそんな白い七面鳥などあるはずはないからです。かつて今まで20年間ここにいて、
白い七面鳥など見たことがなかったからだし、常識的に考えても居ようはずはない。

まして、昨朝言ったばっかりだった……それがちゃんと、現れて来たのです。……こんなびっくりした事はありません。ムカデ成仏もびっくりしましたが、それは私以外に誰も見た事がなく、その驚きを間近に直接に味わうことが出来ませんでした。

しかしこの七面鳥の件は、皆んなで口々に白い七面鳥が来たらどんなに良いか知れない……と空想し、夢をそこにぶち上げたからです。それが見事に……思いもせぬ事が現実化したのですから、みんなの驚きと喜びは言いようもありませんでした。

魔法の小箱から小鳩が取り出されたように、白い七面鳥が3羽も13匹の黒い鳥の中に混じって、同じように水を飲み、庭をうろつき半時間ほど餌をあさっていました。私たちはこれこそビデオカメラにおさめねば……と嬉しい気持ちを抑えながら撮影しました。こんな事はこれきりで、もう二度と見れないかもしれない思ったからです。

そしてその翌朝も、又その翌日も待ちましたが、思ったように二度と現われて来てくれませんでした。10月9日にドルガ・プジャが始りました。私たちの心の内には今日はドルガの祭だから、ひょっとしたらドルガがまた白い七面鳥を遣わしてくれるかも……と思っていたのです。

しかしもう夢を見終わったようなはかない気分が湧いてきました。七面鳥が現われて来なかったからです。せめてビデオカメラにおさめた事だけが後にまで救いになる現実なのだと、淋しい心を慰めていました。

私はこの出来事で、今書いている本の最後の所をどんな風にしてまとめようかとしていましたが、この白い魔法の鳥の出現の出来事をその最後の文に見事にまとめる事が出来ました。

それは神は魔法使いであるという内容です。「幻想 一体感の世界」というまとまった内容が書けたのです。即ち我々の世界は時々刻々に景色が変化していっています。夜の星空もそうです。我々の生命も時々刻々に変化して、終いに姿を消します。

するとこの「ある」という実在は、刻々の幻なのです。直ぐ消え変化する……もう最前のものは消されて幻となっているのです。
それをこの七面鳥が消えた事から学びました。そして神は魔法使いであるという結論でした。

現実……というものはないのです。幻の連続という幻想の世界です。それからというもの景色を見ても、全て神の魔法である。幻に見えて来て、それを見ている自分もその幻の一員であると感じるようになりました。

それで「幻想一元論」というものが生まれたのです。「幻想一元論」即ち全ては幻なのです。それを人は幻と分からず、現実というものがあるように錯覚しているだけなのです。

時間というゆっくりした流れの中に身をおいているから、幻が分らないのです。映像でもスピードを落として撮ると、花が急につぼみから開花するのを見たことがあるでしょう。それは魔法のように感じるのです。急にすごいスピードで花が開く……それを我々はゆっくりした時間で見ているから、魔法のような雰囲気が感じとれないのです。この世はすべて幻なのだと白鳥の消えた事で教えられました

皆さんへ!!
こうして第二日目のドルガプジャの朝です。白鳥の七面鳥が又一群に混じって現われたのです。この時の喜びは天にも昇るようでした。これらの映像をいつか日本に送りますので見て下さい。

| 講話など | 22:39 | TOP↑

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涙はあなたと共に ④

涙が香りに帰って行きました
黄金の香りの波動に
帰って行きました

宇宙は幸せの開花です
香りと香りが 散り咲いている夢の世界です
幻想そのものです

宇宙とはこれです
無限はこの幻想の中にあります
踊りそのものです

幻想の踊りの中で
幸せと涙が交叉して 飛び散ります

私はあなたと共にいたいのです
あなたと共に踊りましょうといって
踊りながら泣いてください
それがあなたの本当の姿です

そういう形相が出来る事が
神話性の実現です

知の世界から 合理の世界から
早く抜け出て下さい
我々の仲間となって 共に泣いて踊りましょう

魂の古里は
ここにあったのです

2007.07.10.

| 2007年 | 10:00 | TOP↑

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涙はあなたと共に ③

あなたが私の中にいます
私はあなたと遊び たわむれる時間が
私のいのちです
二人で踊りましょう
これ以上のものがどこにあるでしょうか

泣けます
泣けて 泣けてたまりません
私を一元の世界に入れないで下さい
私はいつまでもあなたと二人で 一緒に居たいのです
踊っていたいのです

二元の歓び
あなたが私の中にいつもいます 
その歓び

黄金の香りはこの踊りです
わたしを離さないで下さい
夜になったら 星空を動かす手伝いをしますから

私が あなたが 
道ばたの石ころ一つにしても 存在しているのです

石はただの石だと人は思っているが
その石でも 涙にむせんで泣いているのです
花一つにしても 泣いているのです
それが分るようになって下さい

彼らはいつも「あなた」と共にいます
「あなた」とは 宇宙の母の事です

泣いて下さい 
泣けるようになって下さい
涙が宇宙のふところです

真理の輝きは 涙となって現われます
涙のない所に 何の真理もありません
そしてその中で 涙の中で踊るのです
これ以上の真実が どこにもありません

私を泣かせて下さい
その涙の大洪水の中で………踊りましょう
あなたと共に

それ以外のものは 全て無価値であり間違った道です
「道」とは泣く事です
泣ける事です
涙に到達する事です

武術も武道も 華道も茶道も
泣く人を 泣ける人をつくる道です
それも「あなた」と共にいつも居る
その事以外を 求める事のない人になる事です

涙こそ 涙こそ 泣けて泣けてたまらぬ
自分になる事が 人生の存在の意義であり
そうなる事の為に それ以外のものはないのです

「道」とは全て 泣く為の道です
涙はこの世の最高のものです

泣く事を見付けるのが宗教です
また 泣く事そのものが宗教です

涙があなたを育ててくれます

2007.07.09.

| 2007年 | 09:43 | TOP↑

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涙はあなたと共に ②

「あなた」は一体誰なのでしょうか

「あなた」を長い間 慕う気持で
今までいましたが
私が唱え 呼んでいる
そのあなたは何なのでしょう

それは「あなた」なのです
それしか今のところ分りません

どこを探してもそのあなたは 
言語の世界や
形相 現実の世界では どれと決める事の出来ない
存在なのです
とにかく 私にとっての「あなた」なのです

それは私の中にいる「あなた」なのです
それだけは はっきりしています
口や言葉で言えない「あなた」が
私の内にあるのです

そしてそれは 母のようなものであるだけは
確かです

そのあなたと いつも一緒におり
一緒に歌い 一緒に踊るのです
これ以上の幸せは私にないのです

そのあなたは「涙」かもしれません
私を泣かせる者は「涙」かも知れません

宇宙はこの「涙」の
かたまりかも知れません
やっとここまでこぎつける事が出来ました

古里は 古里はそれです
宇宙は幸せに満ちているのです

その一滴が光る時 世界は夜明けとなります
鳥は歌い 
ウシャス女神は泣きながら 東天を
紅に染め始めます

幸せは 幸せはそこにあります

2007.07.08.

| 2007年 | 08:26 | TOP↑

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