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合理主義を越えて

神話研究とは 合理主義との闘いのような

ものである

仏教では様々なブッダの像を拝む

そして何事かの望みを

かなえてもらおうとする

ここに合理主義がかくれている


仏陀の生れた時から500年間人々は

仏陀の全身像をつくらなかった

そして仏陀が瞑想して悟りをひらいたところの

菩提樹の樹を拝んだ


どうして全身像を拝まないで 樹を拝んだのか

それは仏陀の全身像を拝むことが 見ることが 

もったいない おそれ多い

悟りをひらかれたその場所だけ拝ませてほしい

あるいは全身像でなく足型を拝んだだけで

満足していたのである


仏陀がなくなった500年の人々の心の中には

そのような神話性にあふれていた

この心は芸術そのものである


自分たちの魂の本質は

芸術的な神話性にある


あるいは仏陀は母親のわきの下から

生れたという伝承の清らかさ

このたとえは キリストが夫のいない

聖母から生まれたというのと同次元のものである


これらのたとえは非常に美しい

その当時の人々はそういうきれいなたとえを

創ることができた


聖者や賢者より そのような一般民衆の方が

賢いかも知れない

一般民衆というのは 土を耕し 作物をつくり

自然の中にとけ込んで生きている

それが彼らの心に神話性を残し

このようなきよらかなたとえを

創造させるのである


1998.08.28.
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| 1998年 | 00:09 | TOP↑

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