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落葉から生命の躍動モーターへ

① 人間は人間でない。人間は時間である。
今までの歴史は、人間は人間であるという間違った人間の歴史であった。

② 未来時間と現在時間の関係

現在時間(矢印)が進行出来るのは前に開きの時間(コイル状の曲線)があるからである。
開きの時間は未来時間の特徴である。

1.自分が進んでいける 
2.開きに誘われているということでもある
つまり未来時間に呑み込まれて現在時間が進行しているということ。

③ 落葉になる。
人間でなしに落葉になる。
これが人間というものの今日までの意識をやっつけるための方法論、
テクニックで用いられた言葉である。
この矢印は落ち葉を運ぶ川の流れであると考える。
そして落葉はその川の流れに身をゆだねる。
あるいは引っ張られて流れていく。

この落葉を矢印の上にのっていると見ても良いし、
又二つの関係にあるこの図形の時間性の進行の流れに乗っている落葉であると
考えられる。
とにかく人間は流れのうえに乗っている。

そのように我々は人間でなしに落葉であると想定する。
そうすることによって人間という意識が薄れて来る。

これを毎晩寝ながら瞑想していると
即ち流れている落葉に自分がなるわけです。
そうすることによって人間意識が薄らいでくる
自分が落葉となる
そのように寝る時瞑想していると、直ぐ眠れるようになった

ところで落葉と考えている意識が朝まで続いている。
これが潜在意識に入る。
これを続けていた数日後、その落ち葉が光はじめたのを感じた。
それが意識で見える。

実際その落葉が、自分にとって救世主の様な役をなした。
それによって人間意識が少しずつ薄らいだが、人間意識が薄らぐ度合いによって、
落葉の光る度合いが増していった。

この落葉になると、人間が今までもっていた誇り、知力、人間は偉いのだ
という人間欲、相対物の間において権威をもっている人間のもの、
見えなかった権威が消え落ちる。
即ち権威がなくなっていく。

そうすると人間は謙虚になる。
この謙虚の在り様に自然となった。
そして優しくなるのを感じた。
これは本性が出動した状態なのであろう。

やはりやさしくとか親切とかは孔子が言うように、取って付けて教えて
なるものでなく、本性が顕われるとそうなれる。
そのためには一番問題になっていた人間という言語、意識、そこにまつわる
権威を消し去ることだ。
そのために落葉は非常に役立つのである。

④ 今書いたこの図形をよく頭の中に描いて、展開しておく必要がある。
ここに登場するのは、酸素は酸素を呼吸して生きている、という啓示である。

自己というのは、この未来時間と矢印 
現在時間のいづれが自己であるかを確かめる必要がある。
現在時間が生きている。
この自己はたしかに現在時間であり現在時間を所有している、
矢印であることはたしかである。
だからひとまずその矢印に意識を集め、そこに落葉をもっていく。

ところがこの矢印の現在時間は、この世に現われたものであるが
この矢印の現れる以前に未来時間という宇宙が始まる以前からあったもの、
この無限なる未来時間が、この矢印を創ったのである。

そうすると自己というものは、矢印だけが自己ではない。
矢印の現れる以前のもの、無限なる無時間なる未来時間そのものも自己なのだ。

矢印がアートマンであればブラフマンは未来時間、丸い図形である。
言いかえれば丸い図形は宇宙意志のようなもので、そこには開きがある。

そこにその二つの関係の中に自分を見つけることができる。
二つとも自分なのである。
そしてそれは同時に進行している。

この二つの関係の中へ、自己の意識を焦点を合わせる。
そうすると今までの震えとちがう震えがやって来る。
今までの震えは瞬間というものと、真実なるものが触れ合った時、背中のA点に
電撃が起きて震えたものであった。
このA点の震えを強力なものにしようとずっと以前から考えていた。

こうしてこの円と矢印の関係の中に意識焦点を集めると
だんだん足の方から震えの電撃が起きて来るようになった。
これを三日ほど続けていると今朝やっと実現がやってきた。

その丸い円と矢印の棒がふれあっている点がいくつかある。
そのふれ合っているところがものとものとの関係の点である。

⑤ 以上の事を数日繰り返していたが、わずかな電撃しかこなかった。
即ち瞬間的震えしか来なかった。
ところが酸素が酸素を呼吸して生きているという啓示をそこに当てはめた。

この芸当はちょっとむづかしい
酸素が酸素を呼吸して生きている。
結局、酸素は酸素を呼吸しないと酸素は生きて来ない。

即ちこの二つの図形を呼吸しないと、人間――自分は生きていない。
今の人間はこの関係を知っていないから生きているとは言えないのである。

人間が生きようと思えば、自分が本当の自分になろうと思えば
酸素が酸素を呼吸しないと生きて来ないように
自己が自己を呼吸しないと永遠の生きたものとなれない。
今の人間は生きていない。
栄養物を食べてやっと生命を保っているだけの存在なのである。

酸素が酸素を呼吸していきているこの自己なる図形、ここにおいても
図形が図形を呼吸して生きているという瞑想に入ると
連続的な震えショックが起きて来た。
動き、震えが連続化した。

つまりこの図形全体が自己なのであり、その自己を呼吸して生きているということを
その矢印と円との関係そのものを自分の中に入れ込むのである。
この自己なる図形を呼吸する、即ち呑み込む、あるいは入れ込むと
その図形が自己であることが震えとして実感出来るのである。

いままでのA点の震えも瞬間であり、足のほうからの震えも瞬間的だったが、
連続的震えに変わった。
ここでやっと連続的な生命を得ることが出来た。

そこで分かる事がある。
この図形はモーターを動かすコイルの図形と同じなのである。

円形は巻いている銅線であり、そこに棒を入れるとコイルになり
N極とS極が生まれてコイルになる。
これによってモーターができる。

これが生命のモーターである。
生命の物理学であり、人間は時間というもののモーターなのだ。
これで永遠の生命の回転の瞬間の中に入れるのだ。
自己が自己を呑み込んで震えて来る。
永遠の生命の躍動がここにある。

2005.05.17.
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