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もしニーチェにオチャメがあったなら

以前、神話は形相に現われるという事を述べました。
神話というと難しいように感じますが、しかし本当は分かりやすいものなのです。
例えば、両手を合わせて合掌するという形がありますね。
これも一つの神話の形なのです。

私は子供の頃、親が満月に両手を合わせて拝んでいるのを見て、
自分も合掌して拝んだ事があります。
こういうのはとてもきれいですね。
純粋ですね。
オチャメがそこに、素直に入っていますね。
このように神話は形相として現われ、いたる所に見ることが出来ます。

「オチャメ」というのは有難いものです。
「オチャメ」の中には権力や、うぬぼれや利欲や腹立ちや、恨み憎しみが入りません。かえって「オチャメ」がそれらを消してくれます。
そして「オチャメ」になると、人と人、人と自然との間に「対話」がなされてきます。すると知恵で割り切れない神話の世界へ、人の心が波動的に入っていけます。

ところが、宗教哲学の世界においては、宇宙の奥生る真理は、言葉や文章で
あらわすことは出来ないということで、不立文字とか、(否、否、否……
お前たちの言うことは全て間違っている。それでもない、これでもない……)
と言って全て否定しています。
サンスクリットでそれをネーティ、ネーティと言います。

また宇宙の真理は無だとか空だとか、有は無から生じるとか言っております。
しかし、これらもやはり合理知から出た言葉であり、悟性のしからしめる所です。
そこでは知的な空回りになり、オチャメという本質的な世界から遠いところに
行ってしまいます。
昔のギリシャにおいて、宇宙の始めに「あくび」があったというのは
たいした言葉です。

ところでニーチェは欺瞞に満ちている社会、これまでの合理的に意味づけられた、
あらゆる体制を受け入れている人々に、
「その既成の意味づけられたものを受け入れてはいけない。」という事を唱え、
人々に新しい方向性を与えました。

そしてこのニーチェェの思想は、特に若い鋭敏な人々に刺激を与え、受け入れられて、ニーチェがなくなる4~5年前からすでに全ヨーロッパにニーチェ熱が広まり、
ニーチェはその時代の地震のような存在であったと言われています。

しかし残念な事にニーチェ自身は、その人生を発狂という形で終わらせる事に
なりました。
もし彼が、意味の解体によって、その奥にあるオチャメというような柔らかい
遊戯的なものを見つけていたなら、もっと神話的な人生を送れていたことでしょう。

人生は舟に乗って、時間の河を渡るようなものです。
しかしその船に、神話というオチャメを乗せなければ、
まともに時間の河を渡っていけません。
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