FC2ブログ

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

盲人、象をなでる

ここで一つ象をたとえにして考えてみましょう。
インドには「盲人、象をなでる」という寓話があります。
盲人達は、それぞれゾウの鼻や牙など別々の一部分だけを触り、その感想について語り合う。しかし触った部位により感想が異なり、それぞれが自分が正しいと主張して対立が深まる。しかし何らかの理由でそれが同じ物の別の部分であると気づき、対立が解消する、という話です。
長い鼻があり、太い脚があり、大きな耳と大きな体、尾っぽがあります。この全体が象です。しかしこれは象の全体像(形相)であって象そのものではありません
そこで宇宙という一つの大きな象がいたとしましょう。
宇宙には多くの星雲がこのようにあって、宇宙はこのように動いている、そういうことは宇宙の外観であって、更にそれを形而上学的にとらえていっても、内面的な形相をとらえただけで、それは宇宙そのものを言い表わしているものではありません。これはまさに「盲人、象をなでる」そのものです。
ましてや、宇宙というものは何故あるのかとか、どのような目的をもって存在しているのかと言う事については、言葉では言い表せないものであります。
ところが一番言い表せないもの、一番はっきりしないものを、ニーチェは一番はっきりした言語「無意味」という言語で表現したのでありました。象という本質……これが「無意味」というものです。
これは宇宙の形を、例えば象の耳、鼻や大きい体といった形あるものの説明ではありません。あくまで形としての宇宙は、宇宙そのものを言い表すことが出来ないのです。形と本質的なものとはちがうのです。
「無意味」は本質であって、そうなると真相なる「無意味」そのものになる。
そして、その無意味の相から透明な角度や斜めやオチャメも出て来るのです。
スポンサーサイト



| エッセイ | 09:44 | TOP↑

PREV | PAGE-SELECT | NEXT