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真実なる行為

クリシュナとラーダの関係は
愛ではなく 礼拝であった
すべてを礼拝するクリシュナの姿と心 行為が
ラーダとの間に描かれたのである

愛ではなしに
礼拝に他ならないのである
物語はそれに始まり
それに尽きることなく続くのである

踊り手は踊るという
その踊りとは
これも礼拝である
礼拝が踊りという形になってくるのである
礼拝 礼拝が満ち溢れてくると
それから 踊りと化すのである

尊いから相手を
礼拝するのではない
真実なる行為を知らない我々は
その真実なる行為に尋ねる時
そこに自己が消えて
それから 感得されてくる

それが「礼拝」という
ようなものである 

我々は 知識で何をせねばならないと思い
そして行為してきたのであるが
それは人工的な行為であり
感情や 知性によってのものである

だがそれとはちがう
真実なる行為というものがあるのである
それは知では知ることは
出来ない

それは それに尋ねるより他ない
それと縁の切れた我々は
それに尋ねるべきである

すると分かって来る
分かって来るものが
その「礼拝」というようなものである

相対的にするのでもなく
尊いからするのでもない
それがあるのである
その「礼拝」というものが
そこには自分も 神も 宇宙も
創造神も ブラフマンもない

それが 即ち行為が
あるだけである

1978.03.20.
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| 1978年 | 09:53 | TOP↑

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