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ガラスばりのシャワー室

始めからのくっつき 始めからのくっつき
始めからのくっつきにかえると 人は安心を得る
離れているから人は 相手と向かい合っているのである
これでは一生救いがない
古い人々は この離れた形の人である
新しい人々は このくっついた形の人である

アジアやヨーロッパ その他の古い人々と 
アメリカの新しい人々との違いが ここにある
アメリカ人は始めからくっついている
向かい合いというものがない
そこからくる社会構造 家庭構造 建築構造がやって来ている

アメリカでも古い人と新しい人 古い構造と新しい構造は違う
そのように日本人も 新しい構造を創れるような
新しい人間に変わらねばならない

古い向かい合った構造 例えば感謝の心をもてという事も
古い構造の中から言われてくるものである
必要とされてくるものである
この辺がむつかしい 分からないだろう
何で感謝の心が古い時代の遺産なのか

相対構造の世界では 人と人がうまくゆかない
だから親に感謝せよとか 何々に感謝せよとか言って
来なければ 人間の行為と思考がちゃんと整わないのである

だからそれを整わすために 感謝の心ということを教える
だがこの心は 整わす為に必要とされた言葉であり
人為的なものである
このように相対的な構造に生きている人々には
問題がおきるばかりなのである

そしてそれを支え整えねばならぬから それへのつけ薬が
百も千も考え出されたのである
その一つが感謝の心である
なる程 感謝の心をもつと自分の心は整い 安定を得る
行為も思考も整ってくる 乱れがなくなってくる

しかし人の行為と思考が 再び整わないようになってくる
相対的構造の人間にとって この感謝という心は 考えは
骨の折れた者のための添え木のようなものである

例えばここに 相対的でない始めからのくっつきをもつ人が
いたとするなら それらの間に損や得の感情がわくであろうか
……これだけ仕事をしたら損だとか バカらしいとか……
損だとかバカらしいとかいう心がわくと 人は行為においても
何においてもふくれ面とかわる
……そうならないようにつけ薬をみつけて感謝せよと 
来たのである

例えば それと一体ならば――親と子が一体ならば
そこに何がおきても感情的にはならない
それが離ればなれの心になっていると
親子でも感情的になり 許せないことが心の中におきてくる
人はこうして許せないという感情のもつれを常にもっているのである
一時の感謝という薬は 全てのことに効能があるだろうか
このような感謝の心は 持たないより持った方が
全てが美しくゆくが それとちがった形のもっとよいものが
発見されないものなのだろうか
例えば ガラスばりのシャワー室のように

私もあなたも一つなら 囲いをつくったシャワー室など
いらないであろう
感謝をこめて(ああ いい気持ちだ)といって 囲いのある
シャワー室で一人で湯を浴びるのと 二人 三人で何の囲いも
なく 楽しくシャワーを浴びるのとどちらがいいだろうか
それが出来ないから 人は一人の中に入りこむのである

感謝とか 愛とか 神聖とか 美の世界とかへ
孤独の一人舞台へ入ってゆくのである
他の人々との間に囲いをつくって
ピュアーな世界では このような古い時代につくって来た
感謝せよとか 愛せよ 神聖な方向へゆけとか
そういうような飾りはない

人の心は始めのものになる
始めの人と人 人と自然が始めから くっついてある
そのものに そのものになるのである
くっついた者には相対がない
相対がないと様々な付け薬がいらなくなる

ピュアーな世界には今まであった 舞台装置や芝居は
もはやなくなるのである
文学も哲学も 宗教も 社会構造も全て根底から
くつがえされるのである

1979.09.11.
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| 1979年 | 22:27 | TOP↑

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