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待つことは

法がこの世に出生するのは母と法 それ自体の意志に
かかっている
助産婦はあくまで助産婦であって 助産婦が子供を産むのでも
産み出させるのでもない

芸術家が 芸術から何かを引き出すのは
芸術家にかかっていない
芸術家は 助産婦にすぎない

芸術そのものが 生まれんと意志する時
芸術家の手中に 彼の御子は生まれ給うのである
芸術作品はあくまで芸術家の手にはなるが
芸術家が 芸術の中から何かを引き出したのではあるが
引き出したというよりか 生み出てくるものを助け
引き出したにすぎないのである

世界が救われる天なる真の法が この世に降り給うのはいつか
人間の手によって それは引き出され得るものか
そうではない 
母が法を産まんと意志しない限り 
子供は母の体内に生じないだろう

法の御子が 母の体にて成長した時
母の意志をこえて 彼は世界に出てくる
だが母もその子を意志によって 自由に宿すことは出来ない

すべて法の意志にかかっている
ではいつその法が世界に生れようと 意志し給うのであるか
それは 法自らが知るのみで
創造主なる御母と むろん我々も知るよしはない
法の御子と母が産まん 産まれんと意志した時に
法の御子は宿る

作品は芸術家と芸術が意志の通じ合った時に 産み出される
芸術家は 助産婦である
創造するのでなく 創造はなされるのである
芸術そのものの中に 創造の力はあるのである

我々人間は芸術作品であり 芸術家である者は
では一体 法の御子をいかにして授かるのか
如何にすれば授かり得るのか
時期を待つより仕様がない

その前にあっては 我々は無力である
何も生むことには力がない
では……それはその生まれんことを待つより仕方がない

彼と彼女が結合し 創造が行われ出すのを
来たらんとするのを 気長く待つのだ

待つことは 彼と彼女の中に入ることである
入って待つのだ
この三者が一つとなる時 始まりは始められる

1967.01.06.
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