FC2ブログ

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

あらわれの位置

なぜ人間に 手と足と眼とが出来たのだろう
なぜ人間に 手と足と眼とが出来たのだろうか
人間には もともとそんなものがなかったのではないか

そんなものは感覚世界の情報を集め 頭脳に送る
頭脳の細胞はそんな情報を集めて判断する
頭脳はそれだけの働きしかもっていないのだろうか
手と足と眼と耳などは それだけの働きしか
もっていないのだろうか

もしそれだけの働きに留まるのなら 大分に低級な品物である
むろんそれらは良い事もするだろうが 良くない事もする
それは相対的である
相対的な良いそれらが ないものだろうか

しかしそれらがあるからには それらを詮議しても仕方がない
だから それらが良いように使われねばならない
それにはどうするか

それには根源から現れて来なければならない
下から上に上ろうとするのでは 下級な感覚的世界の
情報ばかり集めて来る習慣のついたそのものにとっては
無理なことである
それ故に上から即ち 宇宙の根源からやって来るのである
下から根源まで上がろうとするのでなしに
上からのものをその手と足と眼と耳等に流さなければならない

それには 根源から一段下がった現れによって
それらが動かされねばならないのである
その「現れ」とは何か

その現れたもの それは「礼拝」である
根源はピュアーというものであり 
それでは展開しているこの感覚世界には 直接に関係がない
そこには根源にも 展開にも関係のある中間帯のもの 
即ち「現れ」がある

その現れとは「礼拝」である
その「礼拝」にそれ等が動かされると
人間の手足や耳や眼は始めて まともな働きをしだすのである

そこでいう「礼拝」は下に居て上を礼拝するというような
感覚世界における産物でない
それは根源からやって来た生のものそのものである
「ピュアー」という根源なるものが
一段さがって現れとなると「礼拝」というものになる
そこは 天と地をつなぐものである

しかしこの「現れ」は この「礼拝」は感覚世界に属したり
或いはこの世界にあるのではない
天と地をつなぐものでありながら あちらの世界にある
あちらの世界に「現れ」と「根源」とがある

「現れ」の世界は「根源」が動きの世界に
移りかけた所のものであり 幾何学の神秘の中に包まれている
それが回転軸の中から そこを通って現れてくるのである

こうして現れたものが「現れ」ではなく 
「現れ」はこの世に現れる以前のものである
「礼拝」はこの世の時空の彼方にある
そのそれとなれ そのそれとなれ

それはピュアーの香りをもって
ピュアーの香りをただよわせている

1983.03.17.
スポンサーサイト



| 1983年 | 16:23 | TOP↑

PREV | PAGE-SELECT | NEXT