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詩と神話の関係が分って来た(2)

詩の中には生きた動物 生きてそれ自体がとび廻り
走り回れるものが入らない世界である
それは神話の世界に属する

詩は「樹が一本立っているそこに詩がある」ように
動物が入ってこない世界である
動物には心があり その心の入っていない世界である

例えば夕焼け空もそうである
それ自体が詩である
そこに鳥が飛び うさぎが飛び跳ねて来ると神話になる

いずれにも 根源的には不動があるが
現われとしての神話には動がある
いわゆる植物や鉱物以外の生き物が登場すると
動きの世界 心の世界に入り神話となる

そういう意味で 詩は奥なる世界に近い
現われとしての遊びは 神話と手を結んでいる
神話の中に 遊びが秘かに忍び寄っていく
それはリズムをもって
それは 透明な歌と音楽をもって

現われとしての歌と音楽は神話の中で踊りはじめる
木の精 花の精 人間の心の中にある精
「詩」は踊り出てくる

静かに精は 神話を立たしめ
時にはチャメッケのある世界まで展開してしまう
光司が「僕はワニの眼の中から生まれた」
それがこれである

透明な角度は踊り 跳ね 贈り物として
細い線で布絵を織りなす
そこには知識の世界とは違って
理性の弾き飛ばされる世界である

人間の心の汚れは 無論入ることは許されない
神的な者だけが参入出来る世界である

詩の世界も 無論そうであり
そこでは仏陀のいう空の世界 無の世界がかい間見られる
そういうような意味で禅の世界は詩的で 神話がそこにない

人間が神話の世界から遠のいたのは知的になり 
哲学的になり過ぎ 物質欲的になり過ぎたからである

人間が人間たらんとし 人間が自己実現せんとするならば
この神話を持たねばならないのである
いわゆる今は神話の危機のどん底へ
直行しつつある時代である

それは 神への信仰が余りにも権威を持ち過ぎ
神話の位置をくらませたからである
神は元々なくて神話性が 神を創り出したのである
ということを忘れてしまわせたからである

人間喪失 人間喪失はそうした歴史のもとに
底をついてしまったのである

故に人間は自己の本性である詩と神話を 今こそここに
復活させねばならない

ハイネが言っているように 神話を文学の中から
見つけようとすることは逆さまである
文学的空想はむしろ神話の退化に 拍車をかけたのである

神話こそ 人間の精神が持つ根源的言語であり
この神話の深みより汲みとられるべきである
「松は葉っぱと 葉っぱをふれ合わして子供をつくる」
これは現実の世界を越えて 透明な角度をもっている

我々は自己の浅い 現実的な考えで
神話に近づこうとするのでなく
神話の言葉を聞き取る為に まず神話の高みにまで
自己を高めねばならない

それが為に 透明なる線透明なる角度
透明なるリズムの中を旅しなければならないのである

これこそ 我々がどこかに置き忘れてきた一本の笛である
その一本の笛 神笛を我々は吹き続け
旅し続けるのがこの生きた人生である

1989.11.27.
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